オーストラリアに渡って2か月。すでに大満足のワーホリになっていますが、年が明けてからはいろいろと試練が訪れます。後編スタートです!
ワーホリ体験談(1~4月)
次はチェリー?
ファームの仕事はフルーツや野菜のシーズンが終われば仕事もなくなります。しかし、派遣会社に登録していれば基本的には次の仕事を紹介してもらえます。
私の場合は派遣会社から「りんごの仕事は12月で終わる」と言われていました。次の仕事先はホバート近くのチェリーファームです。タスマニアといえばチェリーピッキングの仕事が有名ですよね。りんごのシンニングは時給制ですが、チェリーは歩合制が多く人によっては稼げる仕事と聞いていました。
よっしゃー!チェリーがんばるぞ!
ところが…

りんごのシンニングが全然終わりません。まだ間引きできていない木が果てしなく続きます。
もーいつ終わんねん(笑)
チェリーの仕事は人気なので一部の外国人たちはりんごファームを辞めてホバートへ移動しました。他のメンバーも徐々に別の仕事に案内され残ったのは私とイタリア人と数名のメンバー。結局予定よりも2週間遅れでようやくりんごの仕事が終わりました。
新しい仕事
派遣会社が次に紹介してくれたのはいちごファーム。場所はローンセストンの近くです。
タスマニアを出て旅の続きをしようとも思っていましたが、せっかく仕事があるならと挑戦してみることにしました。荷物をまとめて、2か月お世話になったコンテナハウスから別のゲストハウスに引越しました。

初日は作業についての説明を聞きました。こちらのファームはかなり大きな企業が運営しているようで、タスマニア各地やメインランド(大陸の方)からワーカーが集まっていました。

仕事内容はいちごの苗植えです。作業自体はすごくシンプル。苗が入ったかごを運び、ポットにひたすら植えていきます。おもしろかったのは植えた数に応じてインセンティブがあったこと。終わったかごの数が記録されていて、毎回順位が発表されます。順位が高いほどボーナスが多くもらえる仕組みです。一番多く植えていた人はボーナスを含めて週に20万ほど稼いでいました。
タスマニアで稼げる仕事といえばチェリーピッキングや天候に左右されにくいサーモンファクトリーなどが挙げられます。稼げることを指して‟タスマニアンドリーム”なんて言葉があるくらいです。しかしいちごの仕事を始めた時は
これもタスマニアンドリームじゃね?(笑)
とみな興奮していました。ただそんな景気のいい仕事が楽な作業であるはずがありません。

苗を植えること自体は慣れればテンポよくできるようになります。しかし、ところどころ設置されたスプリンクラーの水を避けながら行う必要がありました。常にカッパを着て座って作業します。小さな椅子を貸してもらえましたが膝や腰は毎日痛みました。雨の日なんかはさらに最悪。なかなかの過酷さでした。
先ほどお伝えしたようにこの仕事はインセンティブがあります。植えた数によって順位が決まるので、周りを気にかけず必死に作業する人とボーナスはあきらめてのんびりする人が出てきました。稼げるメンバーは偏っていき現場の雰囲気はギスギス。まるで資本主義の縮図のような…(笑)
ある日私はカッパのポケットに入れていたスマホがスプリンクラーの水で水没しました。カメラレンズが曇ってしまい故障。加えて職場のメンバーともなかなかなじめず、気分が落ち込んでしまいました。
何のためにオーストラリア来たんや…。
一番の目的は旅をすることでしたが、いつの間にかその目的を見失っていました。
仕事を辞めて引っ越し
2月のある日、いちごのファームを自己都合で辞めることにしました。つまりそれは派遣会社とも縁が切れてしまうことになります。ゲストハウスも出ることにして荷物を整理していた時、隣町に住んでいた日本人仲間が連絡をくれました。
ローンセストンから南に車で30分の場所にあるクレッシーという町に移動することになりました。タスマニアの中央部にあるのどかな田舎町です。そこで日本人仲間と一緒に住むことになりました。

私は半年間のワーホリで三度引っ越しを経験しますが、派遣会社と仲間のおかげで家探しには困らなかったです。ただ時期的にワーホリ勢がかなりいたため、都市部(シドニーやメルボルン等)では苦労している仲間を多く見かけました。
車の購入
ファームの仕事は車が必須といわれる中で、周りの人に恵まれここまで車なしで過ごしてこられました。乗せてもらった際はガソリン代をドライバーに支払います。町の中心部に住んでいる場合は歩いてスーパーやレストランに行けますが、クレッシーからはどこに行くにも車が必要でした。自分の車があれば仕事も見つかりやすいです。そこで車の購入を考えるようになりました。

購入方法はいろいろありますが、私はFacebookのマーケットプレイスで探すことにしました。個人間で物の売買をするのはオーストラリアでは一般的で、家具や電化製品、楽器などとにかく何でもサイトで見つけることができます。
良さそうな車を数台見つけたので、友人に協力してもらい試乗しに行きました。そして探し始めてから2週間後、お気に入りの車と出会いました。安い中古車ですが日本製のかっこいいヤツです。車を購入するのは人生で初めて。家に乗って帰ったときはかなり興奮しました。
買った車はオーストラリアを出るときに再び売る人が多いです。状態が良ければ、買った時と同じくらいの値段で売れることもあります。

私の車は最終的にどうなったかというと、なんと1か月乗っただけで壊れてしまいました(T T)乗り方が悪かったのか運が良くなかったのか。古い車だったので覚悟はしていましたがまさかでした(笑)車を買う時は慎重に選んでくださいね(笑)
タスマニアの環境
車を手に入れたことで活動範囲が一気に広がりました。2月は仕事を辞めたことで生まれた時間を使ってタスマニアのいろんな場所を観光しました。
タスマニアは思っていた何倍もいい場所。空気がおいしくて星空がきれい。性格も穏やかな方が多い印象です。大きさは日本の北海道より少し小さいくらいですが、その中に19もの国立公園があります。他にも湖や滝、ビーチ、古い町並みなど観光地が盛りだくさんです!

夏はそこまで気温が上がらず、冬も氷点下まで下がることはありません。ただ紫外線量は日本の数倍と言われているので日焼け対策は必須です。

仕事帰りにビーチに寄ったり休日にトレッキングをしたり。目的地が島の端でも日帰りで行けます。

野生動物に出会う場面も多く、特に夜はまるでナイトサファリ(笑)車で少し走れば動物に出会えます。

お気に入りはタスマニアデビルとウォンバットです。タスマニアデビルは強靭なアゴを持つ肉食の動物で食べる姿はなかなか迫力がありますが、赤い耳がとてもかわいい^^ウォンバットは島内に広く生息する子熊のような動物。ホバート近くのマリア島ではたくさんのウォンバットを見ることができます。

日本の離島もおもしろかったですが、オーストラリアにもこんなにおもしろい島があったとは想像もしませんでした。タスマニアの滞在は2か月くらいを想定していましたが環境が気に入り、結局5カ月もお世話になりました。
3つ目の仕事探し
いちごの仕事を辞めてから3週間。ゆったりとしたタスマニア時間を楽しみました。しかし車を買ったことで一気に貯金が減り3つ目の仕事を探すことにしました。
これまで出会った外国人や日本人からさまざまな仕事情報を聞かせてもらい、車でレジュメを持って走り回ります。アプライしてみたのはグレープピッキング、アップルピッキング、フルーツパッキングなどです。

最後に訪れたパッキング施設のスタッフさんがとても優しく、「前向きに考えるわね!」と言ってレジュメを受け取ってくれました。やはりオーストラリアでは直接のコミュニケーションが大事です。勇気を出して全力で自己アピールする。これまでの経験はちょっと大げさに伝えるくらいがいいです。
数日後、パッキング施設から採用の連絡が来ました。場所は家から車で15分のところ。いちごやブルーベリー、ラズベリーなどを生産する大きなファームです。

仕事内容は収穫されたフルーツのパッキング。適切なグラムでつめ蓋を閉めます。忙しい仕事でしたがこれまでのファームジョブと違い、冷房の効いた室内で音楽が流れる中で作業をさせてもらえました。ここで働くワーカーがとにかくおもしろい人たちばかりで、毎日仕事が楽しかったです^^
キャンプ場に住んでみた
フルーツパッキングの仕事が一区切りついたところで、キャンプ場に引っ越すことにしました。元々5月のGWあたりで一時帰国しようと考えていたので、その前にキャンプ場での生活も体験したかったのです。

オーストラリアにはキャラバンパークと呼ばれるキャンプ場が各地にあります。キャンピングカーで泊まったり普通車でテントを出して滞在したりします。私はロングフォードという町にあったキャンプ場に車で移動し、ソロキャンプをして約3週間滞在しました。

このキャンプ場での出会いもおもしろかったです。オーストラリアを回っているご夫婦、バイクで旅をしているおじさんたち、近くで働くワーカーなど。管理人さんも優しくて、目の前で釣った魚をくれることがありました。思い切って住む場所を変えてみると新しい出会いがあるもんですね!
ワーホリ仲間との出会い

オーストラリアワーホリでは全世界から人が集まります。出会った方の出身国は30以上。2つ目の仕事まではアルゼンチンやチリなど南米からのワーカーが多い印象でした。最初のコンテナハウスにいた時はアルゼンチン人の大きなコミュニティができ、彼らが夜会やBBQ、年越しイベントなどいろんな集まりに呼んでくれました。

3つ目のフルーツパッキングの仕事で出会ったのは東南アジアやバヌアツ、ソロモン諸島出身のワーカーです。彼らは会社と長期の契約をしていて毎年この工場に働きに来るそう。陽気な性格の方が多く、仕事中はいつも楽しそうでした。

会社主催の交流イベントではステージ上で彼らが伝統的なダンスや歌を披露してくれました。お互いの文化を大切にし頑張りを褒め合い、自由に表現する姿に感動しました。大きな会社ではこうして定期的に交流会があったり、BBQがあったりします。
日本では、南米や太平洋の島国の人たちとはなかなか会う機会がありませんでした。ワーホリに来たことで彼らと出会い、価値観や考え方がより深まった気がします。オーストラリアに行ってきたわけですが、現地の人よりもこうした他の国からワーホリに来た方とかかわる機会が多かったです。半年間で結果的にファームジョブしか経験できませんでしたが、一か所でたくさんの人とつながれるのがファームジョブのいいところだと感じました。
ヒッチハイク旅
5月に一時帰国することに決め、パッキングの仕事を1週間早く退職しました。最後にもう一度ヒッチハイク旅をしたかったからです。
もともとシドニーからメルボルンまでは順調にヒッチハイクで移動してきました。ところがタスマニア生活にどっぷり沼ってしまい、半年間のほとんどをタスマニアで過ごすことになりました。年齢的にセカンドビザを取ることはできないので、ビザは残り半年となっていました。
ローンセストンを出発し反時計回りにタスマニアを一周。ゴールはローンセストン空港です。このヒッチハイク旅についてはまた後日別のブログを書きたいと思っています。びっくりするくらいおもしろい旅でした!

5月に一時帰国し再びメルボルンに向けて飛行機に乗ったんですが、諸事情で結局オーストラリアに戻ることはありませんでした。したがって私のワーホリはこれにて終了。ヒッチハイクに始まりヒッチハイクで終わる不思議な旅ワーホリになりました^^
何を得たか
オーストラリアで過ごした半年間で私が得たことは以下の3つです。
・日本以外でも生き抜く力
・人脈の広がり
・想像力の向上
日本以外でも生き抜く力
ワーホリに行くまで、日本に住んでお金を稼ぐことがまるでスタンダードのように生きてきました。海外で生活している人の姿を見ても「すごいな、自分にはできないかも。」と距離を置いていました。ところが現地に行くと日本以外に居場所を見つけて、いきいきと生活している方にたくさん出会いました。
海外での暮らしは驚きと発見の連続です。日本で毎日何気なくしている行動が、海外だと一つひとつ考えさせられます。ワーホリはあくまで期間限定のアルバイトのようなものですが、海外の暮らしを体験するのにこんな便利な制度はないと思います。「この場所で生きなければいけない」と制限をかける必要はありません。
他の国のワーカーたちの話は勉強になることばかりでした。たとえば国によっては自国で仕事を見つけることがそもそも難しい場合があります。一緒に住んでいたアルゼンチン人のワーカーが言っていました。
俺たちの国の経済は最悪でほとんどが貧困だ。
イタリア人のワーカーはこう言っていました。
俺は生きるためにここに来た。
日本人のように気軽にビザが下りない国の方だっています。そんな彼らを見ると覚悟がまるで違い、アクティブで行動がとても早いです。
特に忘れられないのは、悩んでいた時にルームメイトがかけてくれた言葉です。
We have many options.
そうだ、自分たちにはたくさんの選択肢がある。今後もし日本で生きていくのが難しいと感じたとしても、この言葉を思い出せばどこでも行ける気がします。
人脈の広がり
出会いは本当におもしろいですよね。ヒッチハイクで乗せてくれた方、派遣会社のスタッフの方、現地で仲良くしてくれた日本人、一緒に働いた外国人など…。あのタイミングで行っていなければ出会えなかった人たちです。そして一つひとつの出会いがバラバラなようでつながっている。

オーストラリアに渡る前から人脈が大事ということを経験者から言われていました。現地で実感したのは特に家探しや仕事探しの時です。人脈がある人ほど早く決まっていきましたし、いい環境で働くことができていました。ファームの中には「悪徳」と呼ばれる待遇が悪いファームも存在します。実際に働いた人から情報を得て、より働きやすい環境に行けるのがベストですよね。
人脈の広がりはチャンスを増やします。人とかかわると疲れてしまうことももちろんありますが、自分の新たな可能性に気づかせてもらえたり、挑戦を応援してもらえたりします。私はワーホリの年齢制限ぎりぎり(本当にあと5日で資格を失うというところ)で挑戦しましたが、この歳になってまさかこんなにも人とのつながりが増えるとは思いませんでした。
ただ人脈というものは勝手に広がるものではありません。先入観を持たず積極的に声をかけてみる、あいさつや感謝の気持ちをこまめに伝える、困ったときは人に頼る。コツコツ行動してみることが大事です。私は相手にしてほしいことはまず自分からしてみることを意識していました。もし周りとの関係で悩んでいる人がいるとしたら実践してみてください。私もまだまだ勉強中ですが。
想像力の向上
少しあいまいな表現ですが、想像力が向上することでいろんな方の気持ちに寄り添うことができるようになってきました。具体的には日本で暮らす外国人に対する見方が深まってきたように感じます。
私の地元はベトナム人の労働者が多いです。町工場やコンビニ、病院、学校、いろんな場所で見かけます。海外での仕事や家探し、人との関係作りに苦労した経験をすると、その方たちの気持ちがすごくわかります。日本に来てくれている人のために自分も何か力に慣れたら…。今はそんなことを考えています。

終わりに
最後にワーホリ後のことについて少し。
ワーホリ後のキャリアって気になりますよね。私は出発前やワーホリ中も悩むことがありました。たしかにただワーホリに行ったという経験だけでは日本の就職活動に生かせることは少ないと思います。大事なのはその中身で、自分がどう人間的に成長できたか振り返ったり、現地で作った人脈をどう生かしていくか考え行動したりすることが必要です。
私はワーホリ後に二つのことに挑戦しました。一つ目はオンライン日本語教師です。フィジー留学とオーストラリアでできた人脈のおかげで、今までの自分ではなかなか手を出すことができなかったオンラインの仕事を始めることができました。もう一つは大阪関西万博のお仕事です。日本を訪れている海外の方に恩返しできる絶好のチャンスだと思って応募しました。面接ではワーホリ経験のある方が他にもいました。しかし私は現地に行くことで何を得て、コミュニティの中で自分がどういう役割を果たしていたのかを伝えました。無事合格し、現在アテンダントとして働いているところです。
33歳になった今、私はどうあがいてもオーストラリアのワーホリには行けません。あの時行動して本当に良かったと思います。読んでくださっている中にこれから行ける方がいたら本当にうらやましい。多くのことは行動してからわかります。皆さんの挑戦、心から応援していますね^^

オーストラリアワーホリの体験談いかがだったでしょうか?あくまで私の体験なのでもっと効率的な方法はいくらでもあると思います。派遣会社や仕事内容について詳しく知りたい方はインスタでDMください!