こんにちは!ともやです!
お待たせしました!待ってないか(笑)今回はオーストラリアのヒッチハイク体験談です^^
ワーホリビザでオーストラリアに渡り、海外初のヒッチハイクに挑戦しました。シドニーに到着した初日と2日目はスタート地点を探す徒歩旅。3日目からヒッチハイクに挑戦します!
徒歩旅
初日
お昼ごろシドニーに到着。銀行口座の作成やタックスファイルナンバーの申請を済ませ、早速ヒッチハイク旅の出発場所を探し歩く。ヒッチハイクは日本国内ではしたことがあるものの海外では初めて。大都会シドニーでどこから出発するのか悩んだ。
最初の目的地はシドニー中心部から車で1時間半のカトゥーンバという町。近くにブルーマウンテンズ国立公園がある自然豊かなところだ。カトゥーンバまではM4の国道が続いていたので、その国道沿いのどこかの地点で始めるのがいいと考えた。

ひとまずシドニーを観光する。徒歩で海沿いにあるオペラハウスまで来た。テレビでしか見たことがなかった建物が今目の前にある。
1973年に完成したオペラハウスは世界遺産の中では最も新しい建築年代の建物である。階段前で記念写真を撮った。ここが旅の出発地点だ。

ハーバーブリッジを渡る。1932年に開通した歴史のある橋。後ろにいた観光客の方が写真を撮ってくれた。

ハーバーブリッジを渡った先には遊園地があった。どなたかのSNSで見たことがある。なかなかインパクトがある見た目(笑)

時刻はすでに17時を回っている。ヒッチハイクは明日から始めることにして、野宿できそうな公園を探し回る。街中の公園は注意される可能性が高いので、1時間ほど歩いたノースシドニーの静かな場所にテントを張らせてもらった。
2日目
7:00 公園で目覚める。クリケットの集団が準備を始め出したので急いで撤収。公園内を散歩する。

ヒッチハイクを始める上でポイントとなるのがスタート地点だ。ドライバーに見つけてもらいやすい、車が安全に止まれる場所に立つ必要がある。目的地のカトゥーンバまで続くM4に沿って歩いていき、スタート地点を探すことにした。

この季節オーストラリアではこんな紫の木をよく見かけた。花の名前はジャカランダ。日本の桜のように春に咲く。まるで旅の出発を祝ってくれているようだった。

歩きながらヒッチハイクできそうな場所を探す。さすがは大都会シドニー。高層ビルがいくつもそびえたつ。道が複雑に入り組んでおり、どれがM4に通じているのかさっぱり。こんなところでボードを掲げる勇気もない。とりあえず徒歩で町の中心部から離れることにした。

10:00 腹が減ったのでスーパーへ。やはりオーストラリアの物価は高い。感覚的には日本の2~3倍。

バナナと非常食になりそうなクッキー、菓子パンを調達。水を選んだつもりだったが、炭酸水を買ってしまった。

14:00 あっという間に午後になってしまった。ようやく道が1本になる。この方向で乗せてもらうことができれば目的地に進める。あとは立ってボードを掲げるだけ。ところが…
うーん、無理や…。
やはり自分に海外ヒッチハイクは早かったか。日本で少しやったくらいの経験ではなかなか勇気が出ない。良さげな場所で立ち止まっては歩く、その繰り返しだ。

このまま歩いて行けば着けんこともないな。
荷物を背負っての歩きはかなりきつい。しかしヒッチハイクする勇気に比べれば、気持ち的には楽だった。引き続きM4に沿って歩いていく。

17:00 広い公園を見つけた。シドニー中心部からかなり歩いてきた。体はくたくた。今日はこの辺りで野宿するか。

結局二日目も歩いただけで終わってしまった。なんと情けない…(笑)
明日こそは!
そう決意して眠りについた。
シドニーからカトゥーンバ
スタート地点へ

日本から持って来た折り紙で鶴を折ってみた。ヒッチハイクで乗せてもらったお礼に渡すことにしたのだ。

6:45 準備を整え公園を出発。いざ西へ!
ふと地図を見るとシドニー中心部からは約12㎞も歩いていた。このペースならカトゥーンバまでは1週間少しで着けるか(笑)
近くにオリンピックが開かれた会場があるようなので行ってみることにした。

この標識を右へ。

大きな競技場が見えてきた。ここは2000年にシドニーオリンピックが開かれた場所だ。私の記憶にある一番古いオリンピックである。当時小学校3年生で、先生が教室のテレビで観戦させてくれたのをよく覚えている。

当時の聖火台からは水が落ちていた。二日連続で野宿することになった私にとってはシャワー台にしか見えない(笑)

8:30 スタート地点を探す。シドニー中心部からは離れているがまだ交通量は多い。心の中で
うーん、ここは狭いから無理そうだ。
みなさん急いでそうやなあ。
と何かしらの理由をつけてヒッチハイクを先延ばしにした。1時間ただ歩くことしかできなかった。
1台目
よし!
9:50 心を決めて荷物を下ろす。バッグの中からボードを取り出し、両手で掲げてみた。久しぶりのこの感覚。持つ手が少し震える。

何台もの車が横を通り過ぎていく。急に感じる多くの視線に心臓がバクバク。
ところが少したつと日本でしたときとは違う何かを感じた。それはドライバーのリアクションだ。こちらを見るなりにっこりグーサインをしてくれたり、助手席の人が大きく手を振ってくれたり。乗せられないということを身振り手振りで伝えてくれる。
これはおもしろい!
あんなに渋っていたヒッチハイクが急に楽しくなってきた。立ち始めて10分後、ついにその瞬間が。

「乗るか?」
近くに住んでいるパキスタン人の方だった。初めての海外ヒッチハイクに成功だ。興奮しながら助手席に座る。
数年前に渡豪し永住権を取得した彼。オーストラリアは多様性豊かな国と聞いていたがまさか1台目でパキスタンの方と出会えるとは。彼にカトゥーンバに行くことを伝えると「電車で行くのがいいよ!」と教えてくれた。シドニーからカトゥーンバまでは電車で1時間。たしかにその方法もあるが私はヒッチハイクがしたいのだ。

熱意を伝えたが、彼は15分くらい走ったところにある駅の前に連れて行った。
「絶対電車の方が安心だよ!」
彼はそう言って去っていった。さてどうするか。道を外れてしまったので再び徒歩でM4まで戻ることにした。

途中で車の清掃をしていたおっちゃんに話しかけてみた。元気なオージーだ。彼は道案内に加えてヒッチハイクに最適な場所を教えてくれた。これが人生で初めてのオーストラリア人との出会い。ありがたかった^^

11:00 元の道で再びボードを掲げる。カトゥーンバまではまだ80㎞ほどある。
2台目
30分ほど立ったが止まる車は現れず、場所を変えてさらに30分。すると…
「何かできることはある?」
窓からドライバーが話しかけてきた。優しそうなスーツ姿の方だ。

近くの教会で牧師をしている人だった。これから教会に戻るところらしい。事情を伝えると彼は「とりあえず乗って!」と招き入れてくれた。車内でも彼は口癖のように「他に困ったことはない?」と言ってくれて、カトゥーンバまで乗せてくれることになった。教会はすぐのところにあるのに、なんと優しい人だろう。
彼も若いころにオーストラリアでヒッチハイクをしたことがあるそうだ。教会でしているイベントや奥さんと出会ったエピソードを聞かせてくれた。

あっという間に1時間。辺りに緑の景色が増えてくる。カトゥーンバの標識も見えてきた。

信じられへん…(笑)
12:30 カトゥーンバに到着。シドニーからたった2台で目的地にたどり着いてしまった。

カトゥーンバは辺りに世界遺産を有する自然豊かな田舎町。予約していたホステルを発見した。カラフルでおしゃれな外観である。ここではTFN(タックスファイルナンバー)を受け取るため5泊する予定だ。

このホステルで過ごした5日間は忘れられない。オーストラリアワーホリ初心者で英語も達者でない自分を受け入れてくれる仲間に多く出会えた。カトゥーンバでの出来事については後日のブログで!

ホステルを出る時にオーナーと写真を撮った。TFNは結局受け取れなかったが、もし届いたら連絡をくれるそうだ。おもてなし精神あふれる優しいオーナーだ^^
カトゥーンバからメルボルン
電車で隣町へ

8:30 カトゥーンバ入口のラウンドアバウト付近でヒッチハイクを再開。30分程チャレンジしたところで突然雨が降ってきた。そこで急遽次の町まで電車で移動することにした。ヒッチハイクのこだわりはどこへ(笑)
次の町というのは北部にあるリスゴーである。リスゴーから西に進めばファームが集まった地域に入ることができる。

オーストラリアはカード社会で、基本的に何でもカードで支払いが可能だ。電車に乗る際はこのような機械に銀行のカードやクレジットカードをかざせば乗れる。

こんな感じの2階建ての電車がホームに到着。

車窓からはカトゥーンバ周辺の大自然が見られた。葉っぱを少し付けた背の高い木々が生い茂っている。乗っている間に雲が晴れてきた。

11:00 リスゴーに着いた。雰囲気のあるおもしろそうな町だ。

道路と車だけが新しくなっていったような感じ。古い建物が道路沿いにずらりと並ぶ。オーストラリアの田舎町はみなこんな感じなのだろうか。少しわくわくしてきた^^
3台目

公園のベンチで次の目的地を書いた。リスゴーから西に約60㎞のところにあるバサーストという町だ。ヒッチハイクはボードに何を書くかで結果が変わってくる。海外だと距離感がわからず余計に難しい。とりあえず次の大きそうな町の名前を書くことにした。

リスゴーの町が終わる地点で立つこと20分。後ろに荷物をけん引するトラックが止まった。

おじさんの胸にはAIR FORCE(エア・フォース)と書かれている。なんと空軍のパイロットの方だった。仕事を終えて帰るところらしい。おもしろい出会いだったのでつたない英語で質問してみた。
ヒッチハイカーを乗せたのは初めて?
日本人と話したことはある?
どんな飛行機を操縦しているの?
などなど。ヒッチハイカーを見たことはあるが乗せたのは初めてらしい。子どもの友だちに日本人がいて話したことがあるそう。

「あ、あれだよ!私の飛行機!」
彼が操縦する飛行機について話していたまさにその時、普段乗っているという飛行機が通り過ぎた。なんという偶然。あんなにでかい飛行機を操っているのか!すごい!

目的地バサーストまでは約45分。辺りは何もない草原の景色が続く。
オーストラリア広いなあ。
まだシドニーから少し進んだところだが、とんでもない土地で旅をしている実感がわいてきた。

おじさんは途中ガソリンスタンドに寄ってコーラを買ってくれた。別れる時に渡そうと思っていた折り鶴を差し出すと、今度はきれいな鉱石をくれた。

14:00 バサーストまでもう少しというところで突然車が止まった。彼が言う。
「ちょっとついてきて!」
お手洗いの時間かと思ったが、彼は50mほど来た道を歩いて戻っていく。

そこにはカンガルーが倒れていた。車に轢かれたらしい。オーストラリアの道路を走っていると頻繁に倒れた動物を見かける。特に多いのがカンガルーやワラビーだ。

躊躇することなくカンガルーのお腹辺りを触り始める。
「お腹の子どもが生きている時があるんだ。」
彼は狩猟免許を持っていて動物の扱いには慣れているらしい。ときどきこうして赤ちゃんだけでも生きていないか確かめることがあるそうだ。

15:00 彼は結局、目的地のバサーストを大きく通り越したカウラという町まで乗せてくれた。本当にありがたかったし勉強にもなった出会いだった。
カウラの町中を探検していると気になる標識が。

Japanese Garden?
どうやらこの先に日本庭園があるようだ。
地図で言うとここ。広い公園の中にカウラ日本庭園・文化センターと書かれた施設がある。

公園の入口に到着。

道沿いに看板が立っていた。説明書きの中に「脱走事件」という言葉が登場する。ここカウラは戦時中に日本人捕虜の脱走事件が発生したことで有名らしい。公園には所々こうした戦争に関する看板があった。ゆっくり読みながら回ってみる。

こちらが日本庭園の入口。
カウラにはかつて連合軍の捕虜収容所があり、日本兵も多く収容されていた。1944年にその日本人捕虜たちの約半数(500名以上)が大脱走を試みる。結果的に脱走は多くの死傷者を出して失敗に終わるが、後に日豪和解の象徴としてこの庭園が造られた。

残念ながら入口に着いた時には閉園時間を迎えてしまった。外からでも庭園の木々と瓦屋根の建物を見ることができた。
4台目

16:30 先ほど降ろしてもらった場所に戻ってきた。車の待機場がありヒッチハイクには最適と教えてもらった場所だ。後ろにはちょうど野宿できそうな公園があるが、まだ今日は1台しか乗せてもらっていない。もう少し粘ってみよう。
場所はこの辺り。マクドナルドの左側のA41の道路だ。この先南へ進むとヤングという比較的大きな町がある。ボードに新しい目的地を書く。

20分程たったところで大きなトレーラーが止まった。運転手が降りて反対方向に歩いていく。こうした大型車のための休憩場所だったのか。トレーラーの後ろに移動しヒッチハイクを続ける。
先ほどまではボードの文字を見るためゆっくり走る車がちらほらいたが、日が傾き始め家路を急ぐ車が目立ってきた。しばらく続けていると先ほどの運転手が戻ってきた。私の方へ歩いてくる。
「どこまで行くんだ?」
行き先を聞いてきた。彼はこれからメルボルンまでノンストップで行くらしい。
「一人乗ろうが関係ないから乗ってもいいぞ!」
そう言ってくれたが乗り物が乗り物だけに少し迷った。が、彼の澄んだ目を信用して乗ってみることにした。

助手席までは階段を数段のぼる。中型トラックなら日本で乗せてもらったことがあるが、大型のしかもトレーラーなんてまったく経験がない。フロントガラスからの高さに驚いた。

彼はインド出身で今はオーストラリアで運送の仕事をしているようだ。今日運んでいるのは30トンのドッグフード。彼は言った。
「好きなところまで乗っていっていいよ!」
そう言われても見知らぬ土地でどこで降りればいいんだろう。これから夜が来る。変なところで降りれば朝までサバイバル野宿が待っている。
カウラからメルボルンまでは700㎞弱。大阪からだと東京を通りすぎて福島県に入る辺りまでと同じくらい。最低でも9時間はかかる距離だ。
うーん、どうしようか…。
彼と話しているうちに目的地のヤングを通り過ぎてしまった。ファームが集まった地域で仕事を探す計画がまさかこんな長距離トレーラーでドライブすることになるとは。ただこれは距離を稼げる以上に良いことが一つあった。

実は事前の情報でメルボルンがあるビクトリア州はヒッチハイクが禁止されているというのを多く見ていたのだ。ただ正確な情報はわからない。オーストラリア全土で禁止と書かれているものや、一般道はOKだが高速道路上はダメと書かれているもの、州によって規制があると書いてあるものなど。
ここまで乗せてくれた方は皆「禁止されていないよ」と答える人ばかりだったが、もし今後挑戦される方がいたとしたら自己責任でお願いしたい。
運良くいい車に出会えたな。
迷った結果、このままメルボルンまで乗せてもらうことにした。せっかく素敵な方に出会えたのだ。一緒に行けるところまで行きたい。

19:00 あたりはすっかり暗くなってしまった。いつの間にか町をいくつも過ぎていたが、最終目的地メルボルンはまだまだ先だ。

隣を別のトレーラーが追い抜いて行った。追い抜く際、前に出たトレーラーの最後部が見えると後ろにいるトレーラーがパッシングで合図する。なるほど、これなら後ろが確認しづらい大型車でも安全に追い抜きができる。さらに驚いたのは、カーラジオのとある周波数でトレーラー同士が会話できることだ。見知らぬ車のドライバーとつながって会話できるとはおもしろい。
21:00 ニューサウスウェールズ州とビクトリア州の境に位置するアルベリーという町に到着。ここに倉庫があるのでトレーラーの旅はここまで。メルボルンまでは自家用車で向かうようだ。さすがにここで「降りろ」とでも言われるかと思っていたが、彼は
「俺の車を取ってくるから待っててね!」
と言ってくれた。なんと優しい人だろう。

彼が車を乗り換えている間、ふと夜空を見上げてみた。きれいなオリオン座がのぼっていた。南半球の星空を見るのは生まれて初めてだ。

徐々に建物が多くなってくる。彼はスーパーに行ったり友人の家に寄ったり自由にドライブを続ける。疲れがMAXになり助手席でうとうと。すでに彼には全幅の信頼を置いている。

2:30 カウラを出発してから10時間。ついにメルボルンに到着した。
彼にお礼を伝え折り鶴を渡す。見知らぬ外国人をこんなに遠くまで運んでくれるなんて、心が広すぎる方だった。

近くにあったファーストフード店で時間をつぶし朝を迎える。にわかには信じがたいが、今私はメルボルンにいる。シドニーからの大移動に成功したわけだ。さて仕事はどうするか…。

初めての海外ヒッチハイク体験談いかがだったでしょうか。このあとタスマニアで無事に家と仕事をゲットするわけですが、そんなことを知らない私はメルボルンの駅で疲れと不安でいっぱいな朝を迎えていました(笑)次回もお楽しみに!