こんにちは!ともやです!
今回は私が体験したオーストラリアワーホリについて書きたいと思います。

オーストラリアのワーホリはどんな感じ?

現地でどんな体験ができるの?
と思っている方は参考になると思います!
刺激的で驚きのある毎日。私はワーホリに行ってから人生が大きく前進しました^^ワーホリの制度については多くの方が記事にしているので割愛します。今回は私がオーストラリアで体験したことを時系列にお伝えしたいと思います。前半はワーホリに出発する前のことを書いているので、興味ない方はすっ飛ばしてください。
はじめに
ワーホリとは?
皆さんは「ワーホリ」についてどんなイメージを持っていますか?
英語が上手くなる!
お金が稼げる!
人脈が広がる!
こんなイメージが多いかもしれません。ちなみに私は「なんかかっこいい!」という気持ちだけありました。異国に住んで海外の人と働いてお金を稼ぐ。SNSで事前に情報集めをしていると、キラキラした海外生活の様子がたくさんヒットします。
自分もこんな体験ができたらな…
どこか憧れるような感覚です。
少し時間を遡りますが私が「ワーキングホリデー」という言葉に初めて出会ったのは、就職して2年目のことでした。職場に英語が堪能な同僚がおり、その方がオーストラリアにワーホリに行っていたという話を聞いたのです。

ワーホリ?そんな制度があるんや…。
当時の私はそれくらいにしか思っていませんでした。時が経つこと7年。自転車で日本一周を始めた私は広島のおてつたびである方に出会います。その方はルームメイトで年齢は一つ上。オーストラリアで3年間のワーホリ経験のある従業員でした。

仕事が終わると彼は毎晩のように「オーストラリアいいよ!」と思い出話をしてくれました。現地での生活や仕事のこと、ロードトリップをしたことなど本当におもしろい話ばかりで食い入るように聞きました。
自転車旅の途中で行ったフィジーでは、留学後にオーストラリアでワーホリをする仲間に多く出会いました。「語学力をさらに高めたい!」「現地で稼ぎたい!」と野心あふれる仲間の姿にとても刺激を受けました。
よし、俺も行くぞ!
そう思い立ち、日本一周後にワーホリに挑戦することを決めました。

立ちはだかったこと
私の年齢は当時30歳。ご存じの通りオーストラリアのワーホリビザが適用される年齢ギリギリです。
この歳でワーホリに行くヤツなんておるんか…?
終わった後はどうしよう…。
いろいろと悩みましたがとりあえずビザの申請をやってみることにしました。ビザはあっという間に発行され無事ワーホリに行けることになりましたが、調べ始めると現地ですべきことがたくさんあることがわかりました。銀行口座の開設、家探しに仕事探し…。もちろん現地で仕事が見つかるまでの生活費も必要です。とにかくわからないことが多すぎて混乱しました。
ただそんな時に役立ったのがいろんな方の体験談です。オーストラリアワーホリに挑戦する日本人は非常に多く、SNSやブログに情報があふれています。仕事探しの方法や失敗談などが参考になり、徐々に不安が解消されていきました。
オーストラリア一周?
お伝えしている通り、オーストラリアワーホリの体験者はたくさんいます。せっかく行くのだから他の人とは違った体験をしたい。そこで私は次のようなことを考えました。
ヒッチハイクと自転車と徒歩でオーストラリアを一周する!

ワーホリビザの期間が1年あるので現地で仕事をしながら回れば達成できる。出発前は気持ちが燃え上がっていました(笑)オーストラリア一周の距離は1万キロ以上。東側はシドニーやブリスベンなど大都市がいくつかありますが、中心部や西側は荒野が広がっている過酷な環境です。
結果的にシドニーからタスマニアに移動しただけで終わってしまったのでなんとも愚かな考えでした。うん、忘れてください(笑)
期間と費用
私がオーストラリアでワーホリをしたのは2023年11月から2024年4月までの半年ほど。23年から24年にかけてオーストラリアワーホリビザの日本人向けの発給数は過去最高を記録していますので、日本人が非常に多く渡っていた時期です。初期費用として、おてつたびで貯めた20万円を握りしめて渡航しました。ワーホリ勢の準備費用としてはかなり少ない方です。
フィジー留学に2カ月半行っていたものの、英語力は日常会話ができる程度でした。そんな私が半年間で体験したことをまとめてみました。
11月 シドニー着 カトゥーンバで世界遺産観光 |
11月 メルボルンまでヒッチハイク旅 |
11月 タスマニアで家と仕事をゲット 海外の人とルームシェア開始 |
12月 海外の人とお好み焼き会やクリスマスパーティ |
12月 アルゼンチン人たちと年越し |
1月 引っ越し 車購入 |
1月 3つ目の仕事開始 |
2月 タスマニア観光 |
3月 キャンプ場生活 会社のイベントに参加 |
4月 タスマニア一周ヒッチハイク旅 帰国 |
どうですか?なかなかおもしろそうでしょう?(笑)
期間としては短いですが、ツテも大した貯金もなく始まったわりに多くの貴重な体験ができました。
ワーホリ体験談(11~12月)
最初の10日間

私が最初に渡航したのはシドニーです。旅の出発地点で思いついたのがシドニーにあるオペラハウスだったからです。航空券とホステルの予約を数日だけして降り立ちました。初日はSIMカードの入手と銀行口座の開設を行いました。SIMカードはとりあえず空港で30日間のトラベルSIMを購入。コモンウェルスという銀行は店舗数が多いということを聞いていたので、町の中心部の店舗に行ってみました。

銀行口座を作りたいです!
スタッフに声をかけ説明を受けます。ところが担当してくれたスタッフの英語が早すぎてまったく聞き取れません。「なんでわからないんだ!」と不満な顔をされながら1時間。ようやく開設できました。

銀行口座がないと現地で仕事をしたときに給料が受け取れません。そして仕事をする上でもう一つ必要なのがTFN(タックスファイルナンバー)です。納税者番号のことで、働く際に雇用者に伝える必要があります。TFNの発行はオーストラリアに入国してからオンラインで行い、申請後28日以内で郵送されてきますが私にとっては少々厄介でした。
郵送先はホテルの住所を登録することもできるので、入国後は1か月ほどホテル等に滞在しTFNを受け取るのが一般的です。しかし私の場合はすぐにオーストラリア一周の旅に出発するつもりでした。シドニーで1か月もホテルを予約するのは予算的にも厳しかったです。
そこで3日目から7日目にかけてシドニーから西へ移動したカトゥーンバという町の安宿を予約しました。事前に調べたネット情報で「TFNが1週間以内に届いた!」という情報を多く見たからです。

シドニーでは2日間滞在。オペラハウスで記念写真を撮り、ヒッチハイクでカトゥーンバへ移動しました。無事にオーストラリア旅が始まったわけです。ホステルのスタッフにTFNが郵送されてくるかもしれないことを伝え、5日間到着するのを待ちました。ところが…結局届かないままオーストラリア7日目の朝を迎えます。
どうしよう、延泊するか…。

しかし明日あさってに来るとも限りません。28日後に来る可能性だってあります。そこでスタッフの方にお願いし届いたら現在地に郵送してもらえるようにしました。カトゥーンバの宿を出て再びヒッチハイクで移動を始めます。
カトゥーンバからさらに西のオレンジや南西のヤングという町のあたりはファームがたくさんあると聞いていました。元々の計画ではそこでファームジョブをしようと思っていましたが、TFNはまだ受け取っていません。仕方なくヒッチハイクを続けていると途中で乗せてもらった車がなんとメルボルン行きで、一気に南下することになりました。メルボルンまでは13時間。シドニーを出てから1週間で南の大都会に到着しました。

メルボルンでは図書館にこもり仕事情報を調べました。オーストラリアでは自己紹介や職歴などを記したレジュメを直接雇用先に持っていく文化があります。ただファームもその方法が正攻法なのかはわかりませんでした。そこでまずはファームと派遣会社に直接メールしてみることにしました。ネット情報から連絡先のわかるファームに30件ほど送信。図書館の隅で半日格闘しました。

返信があったのは5件ですが、車の有無を聞くものや募集がないことを伝える内容でした。中にはこちらの英語力をバカにするようなメールも…。派遣会社はネットで出てきた3件に送り、うち1件から返信が来ました。内容は「専用フォームで登録を済ませて」というものでした。その派遣会社があるのはメルボルンの南に浮かぶ島タスマニア。次の行き先が決まりました。
2週間で家と仕事をゲット!
タスマニアはファーム大国と呼ばれるほど多くの仕事先がある場所です。ただ行く前は「自然が多そう~」くらいのイメージしかなかったです。登録後に派遣会社から返事はありませんでしたがとにかく行ってみることにしました。今思えばこの時の決断が大きかったです。

メルボルンからの飛行機を予約し、タスマニア第1の都市ホバートに到着。一日だけ観光してバスで北部にある第2の都市ローンセストンへ移動しました。

派遣会社の住所に行くとそこに事務所らしきものはありません。
おかしいな…。
すると近くにいた人が「移転したよ」と教えてくれました。場所はローンセストンからさらに北西に進んだ場所にあるデボンポートという町です。この日はもうバスがなかったので1泊し次の日向かうことにしました。
メルボルンを出て4日目。ついに派遣会社のオフィスに到着しました。対応してくれたのはオーストラリア人のスタッフ。彼女の英語もなかなか早いです。タイミングがかなり良かったらしく2日後から仕事ができるということになりました。家も用意してくれるそうです。オーストラリアに来て2週間で家と仕事をゲットしました。

先ほどのTFNはどうしたかというと、税務局に電話をかけて直接聞きました。ただしこれは「28日以内に届かなかったら電話して」と書かれていた番号なので、税務局側からすればあまり良い方法ではないかもしれません。
外国人とシェアハウス
派遣会社が提供してくれたのは最大4人まで住めるコンテナのようなシェアハウス。キャンプ場の一角にたくさん設置してありました。中にキッチン・トイレ・シャワーと2段ベッドが二つあります。私はそこでイタリア人の方と住むことになりました。仕事先は車で20分のアップルファーム。車のない私は車持ちの彼とペアを組むことになったようです。

外国人とシェアハウスに住むのはもちろん初めての経験。どきどきでしたが、イタリア人は同い年で穏やかな性格。ワーホリの後は日本を旅したいと言っていました。初日に私が作ったパスタを「うまい!」と食べてくれたのがうれしかったです。その後二人のアルゼンチン人が入居してきてさらに生活が楽しくなりました。

ファームジョブスタート
仕事は入居した翌日にスタート。びっくりするくらいとんとん拍子です。
場所は車で20分のアップルファームでりんごのシンニングのお仕事をしました。シンニングとはまだ成熟していない小さくて青いりんごを間引く作業です。

やってみて初めて気づきましたが、りんごって最初はぶどうみたいに実がゴロゴロなっているんです。それを両手で間引いていきます。11月末に働き始めた際はイタリア人と二人でしたが、12月に本格的にシンニングの作業が始まるとワーカーの数がどんどん増えていきました。

オーストラリアでは基本的に1~2週間おきに給料日があります。私のファームは次の週に前週の分の給料が支払われました。時給は28ドル(=2627円)で初の給料は3万7000円ほどでした。二日分の給料なのでそれほど多くはありませんが、口座に入っているのを確認した時は本当にうれしかったです。
これがワーホリか!
そう感じました。車の中でニヤニヤしながら出勤したのを覚えています。

ご褒美に寿司を売っている店でサーモンのパック寿司を買いました。これがまたうまくて公園でバクバク食べました。値段は1600円と少々高めでしたが(笑)
お好み焼き会とクリスマスパーティ
住んでいたコンテナハウスは他にもたくさんあって、ワーカーがどんどん入居してきました。中には日本人もいて一緒に晩ご飯を食べたり、遊びに出かけたりしました。ある日仲良くなった日本人メンバーとお好み焼き会をすることになりました。せっかくなので周りの外国人も誘ってみると20人以上のメンバーが参加してくれて宴会状態になりました(笑)おかずを作って持って来てくれる人もいました。


「外国人」とひとくくりに言っていますが、国籍も言語もばらばら。ワーホリをしに来た理由もさまざまです。仕事の情報交換をしたり、これまでの経験や国内事情を聞かせてもらったり。勇気を出してかかわってみるとおもしろいメンバーばかりでした。

クリスマスが近づいたころ、お世話になっていたルームメイトのイタリア人、アルゼンチン人のためにクリスマスパーティを企画しました。内容は巻きずし体験です。ベタな感じもしますが日本の食文化を伝えつつ体験もできるので喜んでもらえるかなと思いました。当日は同じファームで働くドイツ人も参加してくれとても盛り上がりました。


会の最後にはサプライズでスペイン語の歌も披露しました。実は私以外の3人のルームメイトはスペイン語でコミュニケーションをとります。私が会話に入ったときは英語に切り替えてくれるのですが、そんな彼らを驚かせようと2週間ほど練習していました。彼らはとても驚いた様子で嬉しそうに歌を聞いてくれました。
アルゼンチン人たちと年越し
渡航してから約2か月。あっという間に年の瀬を迎えました。31日はルームメイトのアルゼンチン人たちがとある年越しイベントに誘ってくれました。デボンポート中心部では屋台が出て0時には花火があがります。しかし彼らはビーチでキャンプファイヤーをしながら年越しをするというのです。
23時ごろ日本人仲間とビーチに向かいました。するとそこには驚くべき光景が広がっていました。

満天の星空のもとで火を囲むアルゼンチン人たちの姿です。タスマニアはもともと星がよく見えるところですが、町の明かりから離れたこのビーチの星空は比べ物にならないくらいきれいでした。0時が近づくにつれ彼らは歌い踊り始めます。
5、4、3、2、1!
Happy new year !!
みんなでさけんだ後、周りの仲間一人ひとりとハグを始めます。とても特別な瞬間でした。
町で日本人仲間と食べて飲んで花火を見て…それもおもしろい年越しになっていたでしょう。ただ今回の体験は一生に一度あるかないかのものだと思いました。遠い国からこの地に集まって特別な時間を過ごす。今でもすぐに思い出せるくらい感動した体験です。
後半に続く…

ちなみにアルゼンチン人たちはクリスマスのときもビーチで0時まで過ごしていました。普段もよく家の周りで夜会をしたり、母国の家族と電話をしたりします。本当にすてきな方たちです。次回のブログもお楽しみに!