今日は沖縄南部の戦跡を訪れます。戦跡とは、戦争の記憶を現代に伝える建物や資料、証言などを指します。当時のものを写した写真もありますので、ご注意ください。
ヒッチハイカーとの別れ
8:30 テントを撤収。楽しいキャンプが終了だ。昨日はここでゆうやくんとお互いソロテントを出して泊まった。
彼はチャリダーだが、自転車は鹿児島に置いている。沖縄はヒッチハイクで回るそうだ。
おもしろいヤツだった。一見すると日本一周しているような人には見えないが、回る理由はそれぞれある。
彼と再び別れる時が来た。すてきな出会いをつないでくれてありがとう! 次に会うのは沖縄か、九州か、それとも。
現在地は南城市。今日は沖縄の南部を進む。沖縄の中では南部に戦争を語る場所が多くある。学びの一日にしよう。
浜辺の茶屋から少し進んだところに島につながる橋があった。気になって渡ってみる。
ここは奥武島というらしい。海がとてもきれい。
渡ってすぐの東屋でドリンク休憩。さんぴん茶はジャスミンの香り豊かな沖縄で親しまれるお茶だ。
座ろうとすると、何匹かの猫に囲まれた。猫好きにはたまらないスポット。
海岸にはのんびり釣りを楽しむ人たちが。沖縄の中でもこうした小さな島で暮らす人たちがいるのか。おもしろい。
平和祈念公園
10:30 平和祈念公園にやってきた。ここに来るのは17年ぶり。中学の修学旅行以来だ。
広大な広さの平和の丘。奥に見える塔は平和祈念堂。
平和の丘にあるこちらのモニュメント。地下と地上の二重構造になっている。地下は沖縄戦で住民が逃げ込んだガマを表現しており、奥に行くと天井が開け、光が差し込む構造になっていた。
モニュメントの背後に見えるのは摩文仁(まぶに)の丘だ。沖縄戦の最後の場所となった陸軍第三十二軍司令部豪がある。
こちらは平和の礎(いしじ)。沖縄戦で命を落とした方の名が国籍や軍人、民間人問わず記されている。
平和の礎がある広場の中央にあるのは平和の火。米軍が最初に上陸した座間味村の阿嘉島の火と広島の火、長崎の火が合わさっている。静かに手を合わせる。
平和祈念資料館は残念ながら工事中で見ることができなかった(※現在は見学可能)。
公園内でアルゼンチン人の旅行者と出会った。旅で出会う初めての南米の方。沖縄はずっと来たかった場所らしい。モニュメントに向けて、一緒に平和を祈った。
ひめゆりの塔
12:00 「伊原」という地域にあるひめゆりの塔へ。ここを訪れるのは初めてだ。
こちらが入口。修学旅行生はじめ多くの方がいた。
写真の右に写る石碑がひめゆりの塔。戦後の物資難の時代に建立された小さな塔だ。奥に見えるのが慰霊碑。沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部・沖縄県立第一高等女学校の生徒と教師を慰霊するものである。
慰霊碑の前には大きく口を広げたガマがある。ここがかつての陸軍病院第三外科豪。ひめゆりの少女たちが実際に負傷兵の看護を行った場所だ。
平和祈念資料館は2021年に内装を一新したばかりだった。「戦争からさらに遠くなった世代へ」というテーマで、戦争を知らない職員の方たちが企画と構成を担当された。現代の学校時代と同じような学徒たちの楽しかった思い出の展示から始まり、戦争に巻き込まれる様子、語り部の映像が短く切り替わるコーナーなどがあった。とても見やすい内容だった。
特に印象的なのは兵士にご飯を出すお話だ。
「飯上げ」という仕事で砲弾が飛び交う中、ガマの外から飯を命がけで運び、兵士におにぎりを作ったそうだ。最初は一人当たり、一日二つあったおにぎりの量は徐々に減っていき、ピンポン玉程度のおにぎりが一日一つになった。今自分がおいしいご飯を食べられる幸せを改めて感じた。
旧海軍司令部豪
15:00 ひめゆりの塔がある糸満市から豊見城(とみぐすく)市へ。ちょうど那覇市と豊見城市の境界線上に旧海軍司令部豪という戦跡がある。
重要な軍事拠点の一つであった小禄(おろく)空港(現在の那覇空港)を守るための防空壕として、1944年12月に完成。手作業で約4カ月で作られたそうだ。ほとんど当時のままの状態で残されている貴重な戦跡だ。
司令部豪の入口は小高い丘の上にある。この丘の標高は74mで、南東にある飛行場を見やすい場所になっている。
長い階段を降りていく。豪の全長は約450m。そのうちの300mが一般公開されている。
ここは作戦室。壁に当時の様子を描いた絵があった。
こちらは幕僚室。幕僚たちはここで手りゅう弾を使って自決した。壁にはその痕跡が生々しく残されている。
ここは兵員室。位の低い兵隊たちが休む場所だ。休むといっても、人が多いので立ったまま眠る。戦闘が激しさを増すと豪内は約4000人の兵士であふれ、兵員室だけではなく坑道で休む者もいたそうだ。
他にもたくさんの部屋があり、豪内はまるでアリの巣のようになっていた。特に印象深かったのは司令官室だ。現地部隊の指揮を執った大田実司令官がその生涯を終えた場所で、壁には墨字で書かれた愛唱歌があった。大田実司令官が最後に打った電報は特に有名である。軍人と一緒に沖縄県民がどのように戦ったのかを残しておくためのもので、忖度なしに書かれている。中将クラスの方がこんなふうに思っていたとは、と感動した。
なお、司令官室の写真は収めていない。詳しく知りたい方は旧海軍司令部豪公式HPや現地の実際の情報を参考にされたい。
出口から外へ。当時の兵士たちは、たまに外に出て吸う新鮮な空気で生きていることを実感したそうだ。
丘の頂上には海軍戦没者を偲ぶ慰霊の塔があった。
旧海軍司令部豪は海軍豪公園という広い敷地の中にある。学びに来るのも良し、ただ遊びに来るのも良しと思う。先の大戦について学ぶだけでは不十分だ。与えてもらった平和をしっかりと噛みしめたい。平和祈念公園やひめゆりの塔は有名だが、興味がある方はここにもぜひ。
対馬丸記念館
川を渡り、那覇市中心部に近づく。今日最後の目的地へ。
17:00 那覇の海沿いにある対馬丸記念館に来た。しかし残念ながら、入場時間に間に合わなかった。
対馬丸沈没の話は小学校の時の平和学習でアニメを見て知った。今の平和学習では生徒の発達に合わせ、たとえアニメであっても、あまりにリアルな映像は見せないことが多い。当時見た「対馬丸 さようなら沖縄」は衝撃的な場面がときどきあった。しかし、その分今でも記憶に残っている。生存した子どもが緘口(かんこう)令によって事件のことを話せず、悔しさをにじませる場面をよく覚えている。
記念館がある旭が丘公園内には小桜の塔という慰霊の場所もある。船首を那覇港に向けたようなモニュメントになっている。
17:40 寝床を探して海沿いを走るが、充電がなくなりそう。宜野湾マリーナ近くのマクドで充電させてもらった。
20:50 ちょうどいい東屋が見つからず、結局那覇から20㎞先の公園までこいだ。嘉手納基地のすぐ近くである。
一日だけだったが、行ける限りの戦跡を回ることができた。過去に訪れた場所でも資料が新しくなっていたり、自分の記憶が間違っていたりする。そして、戦争体験者の方の証言が直接聞ける機会というのは残りわずかだ。こういうところには定期的に訪れたいと思った。
嘉手納町までのルート
2023年4月17日【231日目】
南城市→嘉手納町
走行距離 65.7㎞
積算距離 11,827.4㎞