天草上陸

6:15 三角西港の東屋で起床。今日は出発前にやることがある。タイヤ交換だ。

後輪のタイヤはご覧の通り、中の繊維まで見えている状態。前回替えたのはたしか福島県いわき市にいた時。そこから約5000㎞を走破してくれたことになる。

鹿児島から南の島へ渡るときには、念のためスペアタイヤを装備していた。結局交換することなく無事に九州へ帰ってきたわけだが、さすがにこの状態ではいつ異常が起きてもおかしくない。東屋の前で自転車をひっくり返し、タイヤ交換をした。

穏やかな海を見ながらインスタント麺をいただく。野宿は過酷な日ももちろんあるが、ホテルで目覚めるのとは違った景色が見られるので好きだ。
今日は三角から天草地域を進んでいく。明日には島原辺りから長崎県に上陸する予定だ。

10:00 まずは三角駅の方へ向かってこいでいき、橋を渡って上天草市に入る。見えている橋は自動車専用の天城橋。

歩行者と自転車は隣に設置された天門橋を渡る。トラス形式の美しい橋。

橋の上からはきれいなエメラルドグリーンの海が見えた。

こちらは渡りきったところにある展望所。左が有料道路である天城橋、右が旧道の天門橋。こうして2本の大きな橋が並行してかかる場所は、全国でもあまり見たことがない。
天草といえば

11:00 右手にとある人物の大きな像が見えた。

この像の人物は天草四郎。天草の名を初めて知ったのは小学校の歴史の授業。本名は益田時貞(ときさだ)と言い、10代半ばにして島原の乱の一揆軍を率いた英雄だ。
彼は一揆軍が立てこもった原城で最期を迎えることになる。若くして軍勢を率いるほどのカリスマ性を備えた彼の人生はどんなものだったのだろうか。

こちらは道の駅上天草さんぱーるの向かい側にある天草四郎ミュージアム。キリスト教伝来の歴史から島原・天草一揆について伝える映像や資料などが見られる。
緑の手ぬぐい

大矢野橋という長い橋を渡って次の島へ。

橋の上からはポツポツ浮かぶ小さな島々が見えた。

12:40 空に鯉のぼりが泳ぐ場所に足湯があった。地元の方や八代市から来られた旅行者の方と話した。これで何度目だろう。足湯ではこれまでも本当に多くの出会いがあった。

島の北部の国道324号線を走っていく。右手に広がるのは、熊本佐賀長崎にまたがる有明海。

14:30 道の駅有明に到着。

でかいタコのオブジェがあったので思わずシャッターを押す。

地元のおばあちゃんから緑の手ぬぐいとすてきなお土産をいただいた。お土産の盾はなんと50年前のものだそう。前まで使っていた手ぬぐいは、沖縄の道端で出血したおばあちゃんを助けるために使ってしまった。ちょうどそれと同じような緑色である。少し縁を感じた。

優秀な子どもたち
天草市内で国道がくるくると回り川を渡る場所があった。登り方がわからず苦戦していると、近くに歩道橋を見つけた。

それがこちら。なんと上下に稼働する歩道橋。おもしろい。

少し待っていると橋が完成。信号が青になると通行できる。なるほど、これなら多少高さのある船舶でも橋の下を通過できるというわけか。
17:00 日が傾いてきた。このまま進んでフェリーに乗れたとしても、いい野宿場所が見つかるとは限らない。この辺りで探すか。

公園の隅で考えていると、地元の小学生たちがやってきた。事情を話すと、ここのベンチを教えてくれた。「噴水もあるからシャワーになるかもよ!」やって。ありがたい(笑)
座ってお弁当を食べていると、再びさっきの子たちがやってきた。水風船で遊び始める。遊び終えた後はきっちり風船のごみを片付け、帰っていった。そういえば天草市の小中学生はよくあいさつをしてくれる。言葉遣いも丁寧な印象だ。教員時代よく指導していたあいさつや言葉遣い。いざされる側になってみると丁寧な方がやはり気持ちがいいし、少数の出会いでも町全体の印象として受け取る。すてきな子どもたちとの出会いだった。

教えてもらったベンチは少し開放的で人通りが多かった。そこで公園の隅にあったこちらのベンチに移動。寝袋を敷くには少し長さが足りないが許容範囲。明日は順調に長崎へ行けるだろうか。
天草市までのルート
2023年5月16日【260日目】
宇城市→天草市
走行距離 61.3㎞
積算距離 12.978.7㎞

さあ、長崎が見えてきましたね!次回もお楽しみに^^

