歴史と平和の街、長崎をめぐる【264日目 長崎】

日本一周
この記事を書いた人
tomoya

元小学校の先生が30代から
自転車日本一周の旅へ
最近はオンライン日本語教師に
挑戦中!
日々の出会いや感じたことを
お届けします!

tomoyaをフォローする

歴史の街

諫早市の公園で野宿する旅人

6:15 諫早市の公園で起床。狭いシングルベッドだったがぐっすり寝られた。

諫早市の公園の東屋の木

ちなみに天井はこんな感じ。この植物タイプの天井は小雨くらいなら守ってくれる。しっかりとした屋根に覆われるのもいいが、自分はこの自然な感じが好き。

諫早公園の眼鏡橋

8:20 諫早公園にある眼鏡橋を見に来た。歴史を感じる石造りの橋だ。眼鏡橋と言えば長崎市内のものが有名だが、こちらも大きくて立派。

諫早公園の眼鏡橋

横から見るとこの通り。今日は天気も良くいい写真が撮れた。

諫早市の本明川

公園の前を流れる本明川の景色。今日はひとまず長崎市まで進む。

諫早市のマックスバリュー

途中スーパーで朝ごはんを買っていた時だった。パンの売り場辺りで地元の方が声をかけてくれた。

「日本一周してるんですか?」

黄色のTシャツの後ろの日本地図を見て話しかけてくれたそうだ。旅好きな方で、イートインスペースで座って話を聞いた。朝から素敵な出会いだった。

長崎の国道34号線

長崎を通る旅人のSNSを見ていると、みな共通して言っていたことがある。それは

「長崎は坂が多い!」

ということだ。ここまで全国を旅してきて坂なんていくらでもあった。なので特に気にはしていなかったが、すぐに長崎さんが本性を現し始めた。

地図で言うとちょうどこの辺りの国道34号線。道がくねっと曲がっている。

長崎の坂を上る自転車

結構な上り坂で途中から自転車を押して登った。頂上までもう少しというところで一台の車が止まり、中から下りてきた人がこっちに向かってきた。

仕事途中の方だった。これから日本一周、さらには世界一周までしようと考えているそう。ところが自身が作っているYouTube動画ではお菓子の紹介をしているというおもしろい人だった。

長崎市の眼鏡橋

11:10 長崎市内の眼鏡橋に到着。比べてみるとやはり今朝見た方は大きかった。

長崎市の眼鏡橋

この橋が架けられたのは1634年。数々の水害に見舞われながらも流出することがなかった。実は橋の両側の道路の地下に水路が整備されている。つまり、自転車を置いている場所の地下に水路があり、増水時はそれをフル活用して水を流していくことができる。

長崎港に停泊したクイーンエリザベス

走っていると大きなマンションが。屋上には煙突もある…ってこれは船か。豪華客船のクイーンエリザベスが停泊していた。そういえば辺りには外国人らしき方の姿が多く見られる。

グラバー坂

自転車は駐輪場に止め、グラバー坂を歩いて登る。カステラの甘いにおいがしてきた。

大浦天主堂

坂を上りきったところにあるのが大浦天主堂。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」として世界遺産に登録されている。

長崎のカステラ

お腹が空いたのでカステラを購入。カットされた端の部分を安く買えた。売り子の方たちはみな黄色のTシャツを着ている。私を売り子と間違えて、スペイン人の観光客に話しかけられた。

長崎湾のクレーン

グラバー通り辺りから長崎湾を望む。造船所や海運会社のクレーンが多く見える。広島の尾道や呉の景色を思い出す。

出島通りの看板

12:20 今度は出島周辺を散策する。誰もが歴史の教科書で習ったであろう「出島」という言葉。

出島

周囲は埋め立てられているので当時のような姿ではないが、年々少しずつ復元が進められてきた。

出島表門橋

出島と対岸を結ぶ出島表門橋。人が乗っていない時は出島側の石垣に負担がかからないような設計になっているらしい

出島の南側護岸石垣

出島の南側は埋め立てられ、道路と路面電車用の線路が走っている。写真で言うと左半分に写る場所は当時は海だったということか。

出島の南側護岸石垣

一部ではこうして土台部分の石垣を見ることができる。最下層の石垣は発掘された当時の物で、その上に復元した石垣が重ねられている。

平和の街

13:00 続いて訪れたのは平和公園があるエリア。出島からは北に約4㎞。長崎湾にそそぐ浦上川を上っていくと到着する。

爆心地公園の母子像

ここは爆心地公園。小さな子どもを抱える母の像があった。

爆心地公園の旧浦上天主堂の壁

これは被爆した旧浦上天主堂の遺壁。天主堂自体はこの爆心地から500m北東の位置にあり、原爆によりわずかな壁を残して倒壊した。その一部が爆心地公園に移設されている。

爆心地公園の被爆当時の地層

公園の東側を流れる川のほとりに被爆当時の地層と書かれた場所があった。

爆心地公園の被爆当時の地層
爆心地公園の被爆当時の地層

中には当時の地層がそのまま保存されていた。熱線で溶けたレンガや瓦、陶器が混ざっている。時間をかけてこの状態になったのではなく、一瞬にして破壊された。保存されている地層はほんの一部分で、おそらくこうした景色が辺り一面に広がっていたことだろう。

長崎原爆資料館

公園の隣にある原爆資料館へ。すぐ前の道で資料館を探していた中国の方を中まで案内した。「前から来てみたかった」と言っていた。

広島の資料館はこれまで2度訪れたことがあるがここは初めて。ゆっくりと時間をかけて回った。中には海外の方が大勢いた。みな真剣な様子で資料を見て回っている。

長崎平和公園のエスカレーター

資料館から北に少し歩くと平和公園の入口がある。

長崎平和公園横の防空壕

平和公園へと上るエスカレーターの右横に防空壕として使われた穴が保存されている。ここは爆心地から180mしか離れていないが、当時この中にいて助かった方がいたそうだ。

長崎平和公園の石碑

正面にはある少女の手記が刻まれた石碑があった。

長崎平和公園の像

奥へ進むとテレビや教科書でよく見ていた平和祈念像が。天を指す右手と水平に伸ばした左手、軽く閉じた瞼はそれぞれ意味がある。

像の前では多くの外国人が手を合わせたり、写真を撮ったりしていた。資料館の中でも感じたが日本に来てくれるだけでもありがたいのに、こういう場で一緒に平和について考えてくださるのは本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。

今日も平和を願う人であふれる街、長崎。祈念像の前で静かに手を合わせた。

佐世保へ

15:40 長崎市内から国道206号線で佐世保へと移動する。

国道206号線の看板

この道のりが結構大変だった。佐世保までの約70㎞、アップダウンを繰り返す。

国道206号線沿いのスーパーに止めた自転車

日が暮れる前までに着きたいが距離的に少し厳しい。のんびりしていられないが、スーパーの前で近所のおばちゃんと話した。急いでいる時ほど声をかけてもらえる。話を聞くときは自分の都合は一旦忘れて耳を傾ける。

国道206号線沿いのベンチに止めた自転車

18:20 スマホの充電が20%を切った。バッテリーの充電もすでに尽きているのでかなりピンチ。いい感じの広いベンチを見つけたが、野宿場所としては少し物足りない。壁や屋根があれば完璧だった。缶ジュースを飲んで再出発。

西海橋

19:00 ハウステンボスの手前にかかる西海橋を渡る。美しい色とフォルム。この辺りから国道は202号線に変わる。

西海橋から見た夕日

自転車を止め夕日を見た。ここで焦ってもどうせ沈む。これを見届けてからのんびりこいでいこう。

国道2020号線の歩道

佐世保まではまだ20㎞を残す。ライトをつけゆっくり淡々と進んだ。

西肥バスセンターで雨宿りする自転車旅人

小雨がぱらぱら降ってきたので、バス乗り場の屋根をお借りする。ちょうど足の疲労がたまってきた時だった。確実に近づいてはいるが、佐世保になかなか着かない。

佐世保の快活
どなたかの旅のチャリが置かれている

21:00 佐世保駅から二駅手前に快活があったのでここでギブアップ。よくがんばりました^^

佐世保市までのルート

2023年5月20日【264日目】

諫早市→佐世保市

走行距離 103.7㎞

積算距離 13,263.5㎞

ともや
ともや

快活に着いたときはシャワーを浴びるだけのつもりでしたが、、。あの時間に着いたらもう出る気なくなりますよね(笑)また次回!

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周(自転車)へ

タイトルとURLをコピーしました