萩駅と金谷神社

10:00 今日の旅は萩駅からスタート。天気最高!
萩は前回すでにある程度回っていたが天気がよくなかった。今日もう一度萩を訪れたのは、大分のおじいちゃんに少しでもいい映像を届けるため。さあ行ってみましょう!

駅の中にはとある5人組の写真が。彼らは「長州ファイブ」と呼ばれる幕末から明治維新期にかけて活躍した方たち。右後ろに写るのは初代内閣総理大臣伊藤博文。

彼らの経歴はすごい。後の鉄道庁長官に日本初の外務大臣、造幣局長、総理大臣。どの人物も日本の近代化には欠かせない存在になっていくのだ。

駅から北に少し歩いた場所にあるこちらは金谷神社。1720年に建てられた歴史ある神社。

境内にきれいなアジサイがあった。

梅雨時に咲く花の代表格。ということは梅雨がもうすぐということか。

正面の楼門。柱の色落ち具合が歴史を感じさせる。

楼門内部の天井には十二支の絵があった。カビのような汚れがついてしまっているものもあるが、きれいに描かれたうさぎや寅の絵が確認できた。

こちらが本殿。残りの旅の安全を祈って次の場所へ。
明倫学舎

11:00 観光案内所と同じ敷地内にある萩・明倫学舎へ。

ここは旧明倫小学校の木造校舎を観光施設へとリノベーションした施設。

本館と2~4号館の4棟の木造校舎が並ぶ姿は圧巻。

本館には明倫小学校についての資料展示室や復元された教室がある。
2号館には明治日本の産業革命遺産について知れる世界遺産ビジターセンター、幕末維新期の歴史資料を展示した幕末ミュージアムがある。

3・4号館には観光関連団体の事務所や市民の交流室、コワーキングスペースなどが入っている。広い校舎内のスペースを活用してさまざまな用途に使用されているのがわかる。

こちらは南門(なんもん)。1849年に萩藩校明倫館がこの地に拡大移転してきた際に設置された正門である。ドアの上部に「館倫明」と大きく書かれどっしりと建っている。
萩城下町

城下町ももう一度めぐる。おじいちゃんのためにときどき止まってビデオを回す。まっすぐ行くと萩城跡、左へ曲がると古い街並みが広がる城下町だ。

この地図を見るだけでも歴史的に重要なスポットがたくさんあることがわかる。

まずは木戸孝允旧宅へ。木戸孝允は幕末の長州藩士で、明治維新で躍動し日本の近代化を推し進めた人物。彼のことを調べていると五か条の御誓文や版籍奉還、廃藩置県など歴史の授業で必ず習った文言が並んで出てくる。43年という短い生涯でそれらをやってのけるのだからすさまじい。

ここは高杉晋作誕生地。幕末の長州藩士で松下村塾や江戸で勉学に励んだ。藩士と藩士以外の武士や庶民からなる「奇兵隊」という組織をつくり、倒幕勢力をけん引した人物だ。

すぐ近くの広場には銅像が建っている。病気によるものだが、彼もまた27歳8カ月という非常に短い生涯だった。昔の偉人というのは短い人生の中で必死に学び、多くのことを成し遂げている印象。物にあふれ人生100年と言われる近代化が進んだ今の日本を彼らが見ると、いったいどんな反応をするのだろうか。

これまで他の地域でも城下町は見てきた。古い建物の中に新しい家や店が混じるということがよくあるが、ここではそんな雰囲気はない。きっと地域の方が歴史的街並みの保存に長年尽力してきた成果だろう。

歴史的街並みの保存にあたっては、1975年の文化財保護法により「伝統的建造物群保存地区」というのに指定され保存活動が進むケースがある。萩の城下町では計4か所が保存地区に選定されており、それは京都市と金沢市に次いで多いそうだ。

この建物の壁の模様のようになっている部分はなまこ壁と言われる。壁に平瓦を貼り、目地をかまぼこ型に盛り上がらせた様子がなまこに見えることからそう呼ばれる。



レンガ造りのすてきな外観のカフェ。残念ながら休業中だった。
松陰神社

12:00 先日テレビ取材を受けた松陰神社にも再訪した。

まずは敷地内にある松下村塾。

中には吉田松陰の姿を描いた掛け軸がある。

奥には日本の近代化に尽力した主な門下生の写真が。

松下村塾を正面に見て右に進んでいくと、松陰の実家杉家の旧宅がある。

その旧宅の東向きの小部屋は松陰が2回にわたって幽閉されていた場所だ。

広さは4畳半。松陰は幽閉中もここで講話を行い若者の支持を集めた。それが後の松下村塾での教えにつながっていく。

幽閉室と向かい合うように位置しているのが松陰神社だ。前回ここでロケ中の小田井さんに声をかけていただいた。今日は感謝の気持ちでお参りする。
伊藤博文旧宅

松陰神社から歩いてすぐの場所にあるのが伊藤博文旧宅と別邸。

手前にある茅葺き平屋建ての建物が旧宅。伊藤博文が14歳から13年間暮らした家である。

奥には伊藤の写真とともに父と母、夫人の写真があった。

奥にあるのが伊藤博文の別邸。1907年に東京に建てたものをこの地に移築したらしい。

1階の部屋は資料室になっている。

2階はこんな感じ。ガイドが常駐しているので、詳しい説明をいつでも聞くことができる。この日のガイドは親切なおじいちゃんで、別邸の解説の後に旅についてたくさん質問してくれた。

こうして改めて萩の街を歩いてみると、まるで映画のセットのように多くの歴史的価値のある施設が集まっていることがわかる。旅に出る前までは正直「山口」と聞いてもぱっとイメージできるものが少なかったが、こんなに多くのすばらしい人材が育った場所があったとは。
島根入場

13:00 ランチと編集作業のためガストへ。今日撮った写真と動画を使って1本の萩紹介VTRを作るのだ。2時間ほど作業をして大分のおじいちゃんのもとへ送信。早速返事をいただいた。おじいちゃんだけではなく、おばあちゃんやご家族の方もとても喜んでくれたようでこちらもうれしくなった。

16:00 萩の観光を終え自転車のもとへ。荷物はすべて無事だった。改めて安全な日本社会に感謝する。

海沿いの国道191号線をこいでいく。

16:30 道の駅阿武町で休憩。

道の駅発祥?
気になる看板があった。1993年、当時の建設省より第一回登録の道の駅の1つとして認定を受けたそうだ。

農産物の直売所や温泉、最近はキャンプフィールドまでオープンしているにぎやかな道の駅だった。
道の駅を過ぎてからはきつい山道が続く。いろんな旅人が言っていたように、道は海沿いだけではなく時折内陸の山を走るのでアップダウンが激しい。

写真のような登坂車線という文字が出てきたら要注意。

登坂車線は重量が重い車が坂でスピードが下がるときに、後続車に道を譲るために設置された道だ。すなわちそれは急な坂の合図でもある。「登坂車線 終り」という看板が見えるまでは汗だくの坂登り。

自販機がある場所で休憩。坂がとにかくきつい。日本一周前半よりも明らかに体が重い。坂を上った時の回復が遅い感じ。

18:20 江崎という場所の橋がきれいだったので一旦停止。
国道から少しはずれた位置にあり、対岸へショートカットできる。

海沿いに家と船が並ぶ姿が美しい。

19:00 少し坂を上ったところで夕暮れ。
やばい!暗くなるまでに早くいかないと!
といつもなら焦っているところだが、疲れたしゆっくり夕日眺めましょう。

今日の夕日はとびきりきれいに見える。「坂道お疲れ!」と言ってくれているみたい。太陽さんも一日お疲れ様でした。

もう一度こぎ始めようとしたとき、地平線の辺りにポツポツと光が見えた。おそらく漁船の明かりだろう。今漁を終えようとしているのか、それともこれからお仕事なのか。同じ一日の時間でも使い方は人それぞれ。

20:20 島根県益田市のとある公園でフィニッシュ。いつの間にか県境をまたいでいたようだ。

湯を沸かしカップ焼きそばをほお張る。きっと足らないのでカレーヌードルも準備した。今日は萩の観光からの山道サイクリング。よくがんばりましたな。
島根県益田市までのルート
2023年6月10日【274日目】
萩市→島根県益田市
走行距離 52.1㎞
積算距離 13,792.5㎞

萩はすごい街ですね!大分のおじいちゃんにも喜んでもらえて良かったです^^次回もお楽しみに!

