西から東へ
5:30 沖縄本島北部の道の駅おおぎみからおはようです!昨晩はおでこを蚊にぼこぼこに噛まれた。蚊って寝やんの?(笑)
6:00 もう少し寝ようと思ったが寝坊するのでやめた。道の駅が開かないうちに荷物をまとめる。
今日はここから沖縄本島を西から東へ横断し、南下していく。うるま市辺りまでは行きたいが果たして。
本島を横断する国道331号線はまったくきつくなかった。30分ほどで反対側の海岸へ出ることができた。ここを右に曲がり、東側の海岸線を南下していく。
海沿いの道はこんな感じ。心配していた天気は問題なし。晴れ間も見えた。
山道がときどき登場する。特にこの看板がある辺りはきつかった。
9:00 山道を終えると、嘉陽(かよう)共同店と書かれた店があった。沖縄にはこうした「共同店」がたくさんある。住民が出資して共同で運営している商店だ。
ちょっと休んでいき!
おばあちゃんが手招きしてくれたので寄ってみた。
サイダーとおにぎりをくださった。周りには喪服姿の方がたくさん。今日はお葬式でここに集まったそうだ。
ソファに座り、少し旅の話をさせてもらった。この辺りは「ジュゴンの見える丘」が観光スポットらしい。
おばあちゃんたちに感謝を伝え、再び走り出す。
海に突き出た場所が見えてきた。辺野古である。
辺野古はアメリカ軍の基地キャンプ・シュアブと辺野古弾薬庫が土地の大半を占める地域だ。前に見えるのが大浦湾。絶滅危惧種のサンゴやジュゴンが生息する海では、普天間基地の移転により埋め立て工事が進められている。
10:00 基地の前を通った。入口には警備員がずらっと並び、道路の反対側には座り込みで抗議する地元の方が大勢いた。異様な雰囲気だったが、ここではこれが日常。
実は私の地元には自衛隊の駐屯地があり、上をヘリコプターや飛行機がしょっちゅう通る場所に自宅がある。あくまで自衛隊のものなので沖縄の基地問題とは少し異なるが、ニュースで沖縄のことが流れた時は自然と見入ってしまう。
いざ自分が大切にしている土地に基地が建設されるとすると、どう思うだろうか。同じように抗議の意思を行動で示すことができるだろうか。基地問題にかかわらず、おかしいと思うことに「おかしい!」と口に出して伝えることがこれまで何度できただろうか。そんなことを考えながら辺野古を離れた。
10:30 宜野座村の食堂へ。まだ開店前だった。
近くにあった道の駅ぎのざで休憩。何か食べ物は、と見て回ったが特に食べたいものが見つからない。
阪神タイガースの1軍キャンプ地でもある宜野座村。街中には「ローマの休日」で有名な真実の口があった。2000年の沖縄サミットで伊首相が宜野座村を訪れたことがきっかけらしい。
12:00 宜野座村のとなりの金武町(きんちょう)に入った。ここの繁華街らしき通りは街並みがまるでアメリカのよう。
昔の映画に出てきそうな店が多く軒を連ねる。
金武町には米軍基地のキャンプ・シュアブとキャンプ・ハンセンがあり、両基地を合わせると町の半分以上の土地を占める。
ここはちょうど基地の入口から出てすぐの新開地という地区で、米兵向けの飲食店が多く立ち並ぶ場所なのだ。
12:20 金武町の中心部から国道331号線を走っていると、道沿いに弁当屋さんを見つけた。地元の方とみられる人たちでにぎわっている。これはおいしい店に違いない。
ボリューム満点の弁当(500円)にソーキそば(150円)をいただいた。もちろんお味は最高!
店内で食べているとひっきりなしにお客さんが。
またくるよー!
ありがとう!
そんな会話が聞こえてきた。昔は都会だろうが田舎だろうが、どこでもあったであろうコミュニケーション。聞いているだけでほっこりした^^
店主のおばちゃんに、仕事の合間にお話を聞く。このお店で25年間働き、近くで働く労働者の胃袋を満たしてきたそうだ。以前人力車の旅人も来たらしい。あの旅人だろうか、それともあの人か。
別れ際におにぎりまで差し入れしてくれた。おにぎりもあったかいが、おばちゃんの人柄はそれ以上だ。
海中道路
金武町の南のうるま市へ。かなり順調にこいでくることができた。
野球場のベンチをお借りして休憩。うわあ、キャッチボールしてえ。
うるま市の南東に突き出しているのは勝連半島。そこから島に向かって橋のような道路が伸びている。気になって行ってみた。
16:30 海の上にかかる道路を渡る。正式名称は海中道路。4車線で長さは5.2㎞もある大きくて長い道だ。道路なので基本的に海を遮断するように通るが、船の通路や水流を確保するために橋が1本、水路が2本設けられている。
中間地点には海の駅あやはし館という施設があった。(海中道路については次回のブログでも詳しく解説します!)
海中道路を渡り終え、平安座(へんざ)島に上陸。この島がまたおもしろい。
上空から見ると、何やら丸い建物がたくさんあるのがわかる。これは石油タンクだ。アメリカの石油会社(現:沖縄出光株式会社)が島で石油事業を始めたのが1970年のこと。その見返りとして先ほどの海中道路が建設されたという。
隣の宮城島との間にはきれいにタンクが並ぶ。実はこの場所は埋め立て地で、平安座島の元々の土地は地図上の緑の楕円形の部分だ。島の多くの土地が石油施設となっているわけだが、街中はどのような雰囲気だろうか。少し回ってみる。
海中道路の根元の部分が主な居住区である。ホテルや飲食店、レジャー体験が申し込めるツアー会社などがあった。
古い瓦屋根の平屋の家もいくつかある。こうした沖縄らしい家は年々減ってきているようだ。
学校近くでは、子どもたちが何人かおにごっこをして遊んでいた。
コンビニは大通り沿いにローソンが一軒。お腹が空いたのでパンを一つ買う。
のどかな島の日常。海中道路で本島にもすぐ行ける。いい場所だ。頭の中の将来住みたいリストにチェックをつけた。
三度目のミニベロチャリダー
18:00 コンビニ前にちょうどいい広場があったので利用させていただく。頑丈な東屋があった。今日はここで寝るのもありかもしれない。
よーこいだなあ。
大宜味村から100㎞弱移動してきた。沖縄は野宿が多く疲れがたまりやすい。めでたいことに本日も野宿である(笑)ご飯をむしゃむしゃ食べていた時、ある人物が目の前に現れた。
日本一周チャリダーのミッツさんだ。彼と会うのは実は3回目。最初は去年の7月に北海道の猿払村の道の駅で、2回目は先月鹿児島の佐多岬からの帰り道で出会った。毎回約束もせず、よく会えるもんだ(笑)
と言ってもゆっくりお話しするのは今回が初めて。静岡発の彼が自転車旅に出たのはなんと300日以上前。数々のトラブルを乗り越え今日ここにたどり着いた旅の大先輩だ。
彼の愛車はミニベロという小径車で、小さい後輪の上には手作りのリアキャリアがついている。豊富な体力に技術も持ち合わせている。服装も日本一周勢では見たことがない見た目だ。自分の好きを貫き、走り続けてきた姿に刺激を受けた。
同世代の彼とは話が弾んだ。今日はここのベンチで一緒に寝ることにした。
平安座島までのルート
2023年4月21日【235日目】
大宜味村→平安座島
走行距離 97.6㎞
積算距離 12,132.9㎞
最後に会ったミッツさん。実はもう一回会います(笑)これだから旅はおもしろい^^また次回!