昨晩、仙台のあるゲストハウスにやってきました。その名は「SLOW HOUSE」。旅人が作っていると噂のゲストハウスです。いったいどんな場所なんでしょうか。
それでは行ってみましょう!
SLOW HOUSE at スローシティ
おはようございます。ゲストハウスの一室で目覚める。ここSLOW HOUSEにはいろんな旅人が集まると聞いている。そしてその旅人が中心となり、古民家を一からここまで改修してきたそうだ。いったいどういう仕組みなんだろうか。
ガラガラガラ
表の扉が開いた。
「おはよう!」
宿のオーナーの杉浦さんと運営を任されている方がやってきた。自己紹介をして、ゲストハウスについて話を聞く。そしてオーナーさんが言う。
「宿泊費を払うか、働くかどっちがいい?」
おもしろい質問だ(笑)
少し悩んで「働きます!」と答えた。すると早速今日の作業が始まった。
運営を任されている方の名前はぼんちゃん。役職はコミュニティマネージャーだ。コミュニティをマネージする仕事ということはつまり、集まったメンバーの交流を促進したり、顧客とサービスの間に入りつないでいくというお仕事。彼も実は日本一周チャリダーで、半分ほど終わったところでここのオーナーさんにたまたま拾われたそうだ。慣れた手つきで木材をカットしていく。
玄関前に水色とオレンジのタープを張った。この2色はスローシティと言われるまちづくりのシンボルカラーだ。
スローシティという概念は1999年にイタリアで生まれた。地域の食や農産物、生活・歴史文化自然環境を大切にしたまちづくりをめざす運動である。各国でさまざまな町がこの運動に参加しており、日本では群馬の前橋と気仙沼の二か所が加盟している。
スローシティは単に時間がゆっくり流れる町を指すのではない。お互いの個性を理解し、多様性を尊重する人が育っていく環境づくりが積極的に行われている町だ。
扉のペンキ塗り係に任命されたのでさせていただきます!
水色の塗料で外の扉に色をつけていく。
うん!なんとかできた^^
こちらの扉にもオレンジの塗料をぬっていく。
うらの家
作業が終了し、荷物を別の場所に移動する。別の場所とは、杉浦さんが住む家の奥にある古民家だ。施工にかかわる者はここで寝泊りをする。
ご飯は杉浦さんの家にお邪魔していただく。自分たちで調理したり、奥さんが作ってくださったりいろいろだ。旅人は無料で泊まらせていただくわけだが、ゲストハウスの施工だけをするのではない。杉浦さんのお子さんは4人いる。お子さんとしゃべったり、ゲームをしたり。家族の輪に入れてもらい、子守をさせてもらうのも貴重な体験だ。
また別の日には日払いの仕事にも行かせてもらった。その日は空き家の清掃の仕事で、荷物を整理したり、家具を外に運び出したりした。杉浦さんによると、スロハに集まる人は多いので人材派遣会社のように、働き手がほしい場所に人を送るということもこれから活発に行っていくという。
この日は子どもたちと室根山という山に登った。オーナーのお子さんとその友だちである。小学生とプチ遠足に来た気分だ。
頂上でポーズ。
室根山の標高は895m。よく整備されていて、子どもでも登りやすかった。
また別の日、子どもたちと一緒にこのあたりで有名な海鮮丼の店へ。一番人気のまかない丼を注文した。このまぐろのボリュームで1400円だ。
気仙沼に集まる旅人たち
気仙沼4日目にやってきたのは二人のヒッチハイカーだった。二人とも個性あふれるおもしろい方だ。作業終わり、うらの家でヒッチハイクのあるある話で盛り上がる。「マスクはつけるかどうか」「どんな感じでボードをあげた方が拾われやすいか」などなど。ヒッチハイクの話を誰かからこんなにたくさん聞けたのは初めてだった。いつか自分もやってみたいものだ。
彼女は関東方面からお越しのメンバー。ここには何度か来たことがあるらしい。関東で別の仕事をしていて、合間にここに来ているそうだ。
ほかにもここに旅の自転車を置いて地元に帰っている方やスロハの立ち上げに携わったコミュニティマネージャー、スロハの見学に訪れる旅行者などなど若者を中心にたくさんの人が交わる。スロハを起点に多くの人の動きがあるのだ。
うらの家に寝泊まりする者は居候ズと呼ばれる。北海道で出会ったまさしくんや岩手で出会ったキラ君もその一人だ。SNS上にはまだ出会っていない居候ズが大勢いる。本当にすごい場所だ。
気仙沼の復興は
2011年3月11日、東日本を襲った津波はここ気仙沼にも甚大な被害をもたらした。あれから11年。町はどのような復興の道をたどってきたのだろうか。作業の合間に町をめぐる。
海沿いには震災後に設置された防潮堤が立ち並ぶ。この道路と歩道はすでに震災前よりかさ上げされており、これ自体が堤防の役割を果たす。
また、この防潮堤はフラップゲート式という特殊な構造をしており、上部1m(写真の赤い部分)は津波が押し寄せた時に立ち上がる仕組みになっている。こうすることで、防潮堤によって海の景色が完全に遮られる、ということがなくなる。
新しく建てられた復興住宅の5階部分には津波避難用の施設を示す表示が見える。
ここはJRの鹿折唐桑駅。JRと言っても電車の駅ではない。BRT(バス高速輸送システム)というバスの停車駅だ。津波による被害を受けた東北のJR各路線の中には、復興時にこうしたBRTを採用し、輸送手段を復活させた区間が存在する。バスであれば、線路や架線がなくても道路さえあれば走らせることができ、路線も柔軟に設定することができる。たとえば、電車では止まれなかった病院の前や道の駅を停車場所とすることが可能だ。
BRTの一番の特徴は写真のようなバス専用道路である。多くは元々あった線路を道路化して作られており、信号待ちや渋滞の心配がない。場所によっては連結バスが採用されており、スピード、大量輸送を意識した輸送システムである。
輸送システムの早期復旧には、新たな線路を敷設するよりもこのBRTの方がスピーディである。ただ、「将来的に元のように電車を走らせる計画で一時的にBRTを採用した」という区間でも、利用実態を考慮してそのままBRTが利用され続けているケースもある。
気仙沼市の中心部にある復興祈念公園にやってきた。丘になっており、街全体を見渡すことができる。
震災から10年以上がたち、道路や住宅、生活に必要な店舗などハード面の復興はかなり進んでいるように見える。
丘の頂上までのスロープを登っていく。頂上には犠牲者の方のお名前が刻まれた石碑、震災の日付を記したモニュメントがあった。天に伸びるモニュメントの間からは気仙沼湾の穏やかな海が見える。あの日の朝もこうした穏やかな海だったはずだ。
オーナーの杉浦さんがここに来られたのも震災がきっかけだそう。24歳の時の無一文ヒッチハイク旅中に震災が発生。東北にボランティアに来たのをきっかけに気仙沼に住むようになったそうだ。手がけるのはゲストハウスだけではない。SLOW HOUSEのオーナー兼「今」という株式会社の代表取締役でもある。さまざまなプロジェクトやシェアオフィス、不動産を立ち上げている。そんな中で自宅に多くの旅人を受け入れてこられた。かかわってみると本当にポジティブでエネルギーのある方で、どんな取り組みでも「できる!」と思わせてくれる。杉浦さんの発する言葉や情熱に感動し、集まってくる人は多いことだろう。少しだったがお話を聞かせていただき、ありがたかった。
1泊のつもりが
1泊だけするつもりが、いつの間にか5泊していた。不思議な空間だ。出発の日を迎えたのはSLOW HOUSEに到着してから6日後のことだった。
ここに到着し、私のようにいつの間にか2泊、3泊と過ごしていく旅人は多い。中には居候ズとして50日ほど滞在してゲストハウスの施工にかかわった旅人もいるらしい。気仙沼で複数日過ごすことを「沼る」と表現する者もいる。
旅人が沼る気仙沼。みなさんもぜひ訪ずれてみては^^
2022年8月21~24日【100~103日目】
気仙沼市滞在
積算距離 5,961.9㎞
今回訪れたSLOW HOUSEは、私が訪れて2か月後の2022年9月17日、オープンの日を迎えました^^旅人をはじめ多くの方の愛がこもった宿です。ぜひ訪れてみてください!