※震災遺構の写真があります。
仙台では会う約束をしている方がいました。その方からどんどん出会いが広がり、最後にはびっくりするようなことが起きた日でした。震災遺構にも引き続き訪問していきます。
今日のルート
おはようございます!石巻市の快活で目覚める。
今日は石巻市から仙台市まで進むつもりだ。
石巻市はサイボーグ009や仮面ライダーなどを生み出した石ノ森章太郎氏の第2の故郷でもある。街中ではいくつかのキャラクター像が見られた。
門脇小学校
石巻市の震災遺構も回ってみる。ここは旧石巻市立門脇小学校だ。
目の前に見えるのが本校舎、奥には特別教室棟と屋内運動場があり、展示スペースとなっている。展示スペースには津波で壊れた消防車があった。
門脇小学校にいた教師児童は地震発生直後に裏山に登り助かった。すでに下校した児童のうち7名の尊い命が失われてしまったが、迅速に避難誘導ができた例として知られている。この校舎は津波と津波による火災の両方の被害を受けている全国で唯一の施設だ。津波を回避するために2階3階へと上がる「垂直避難」は一時的には良くても、その後の火災の被害を避けられない。この震災遺構は身をもってそのことを伝えてくれている。
石巻市にはもう一つ小学校の遺構がある。北部の北上川の河口付近に立地する大川小学校だ。こちらでは門脇小学校の例とは対照的に多くの尊い命が失われてしまった。大川小学校の見学については次回のブログでお伝えしたい。
石巻市中心部から海の方へ進むと石巻南浜津波復興祈念公園というのがある。津波により甚大な被害を受けた場所で、広大な緑の公園になっている。
丘を登って周囲を見渡す。元々あった町の写真があった。今は跡形もなく緑が広がる地にこれだけの建物と暮らしがあったのかと驚いた。
ここは災害危険区域というのに指定されている。指定された区域は災害(津波や高潮洪水など)の危険性が高く、新しく住宅を建てることはできない。岩手、宮城、福島の沿岸部は津波による被害で災害危険区域に指定されている箇所が多く、こうした祈念公園や住居以外の建物によって復興を進めていく必要があるようだ。
再び国道45号線を通り、仙台に向かって走っていく。途中ブルーインパルスのモニュメントがあった。
ブルーインパルスは航空自衛隊の中でもアクロバティックな曲技飛行を専門とするチームの愛称で、東松島市にあるここ航空自衛隊松島基地はその本拠地である。この日も駐機しているブルーインパルスを見ることができた。
旅人応援?
仙台では会う約束をしている方がいた。旅人を応援しているという方で、かなり前からSNSで連絡をくれていた。ほかの旅人の中にもその方に会っている人がいた。それにしても旅人を応援するとはいったいどういうことなのか。
やってきたのは仙台市中心部からさらに南へ進んだ名取市にあるかわまちてらす閖上。かさ上げされた堤防の上に立つ商業施設だ。ここで待ち合わせをしている。
無事合うことができた。仙台で旅人の応援をしているというはるそらさんだ。二人の子どもを育てながら仙台を通る旅人に会っているそうだ。
かわまちてらすの店でご飯をいただく。はじめましてだったがとても話しやすい方だ。食べ終わってからはるそらさんが目の前でミサンガを編んでくれた。旅人に会うたびにプレゼントしているらしい。娘さんの学校のクラスの人数分編んだこともあったそう。すごいな。
かわまちてらすのカレーの店に移動。ここには別の店舗の社長さんがいて、ビールまでいただいてしまった。今日の宿が決まっていないことを話すとカレー屋さんのオーナーのたくさんが「あそこにテント張ったら?」と提案してくれた。店の横の芝生のスペースだ。ありがたい。
荒浜小学校
はるそらさんの運転する車で近くの旧荒浜小学校へ。旅人をよくここに案内しているらしい。
「荒浜」という名前を聞いたのは初めてではなかった。2011年3月11日14時46分。東日本大震災が発生した当時、私は19歳の大学生だった。リビングで家族で過ごしていた時、ほんの少し時計が揺れていることに気がついた。
地震かな…?
テレビをつけると速報ニュースが流れていた。時間を追うごとに被害の状況が明らかになっていく。何箇所かで津波も来ているようだ。この時はまだけが人が数人。亡くなる人が出なければいいが…そんな気持ちで夜を迎えた。テレビでニュースを見ていた時に衝撃的なテロップが流れた。
「宮城県の荒浜で200~300人の遺体発見か。」
え?
あの時の恐怖感は今でも忘れられない。これから何が起こるのか。この災害はなんだ。その日はほぼ寝ずにニュースを見続けた。すぐに亡くなった人の数は膨れ上がっていった。
荒浜で実際に亡くなった方は186人と言われている。この荒浜小学校にもすぐに波は押し寄せ、あたりは海水でいっぱいになった。
児童や住民はこの学校の屋上に避難し、自衛隊のヘリによる救助を待った。全員が救出されたのは翌日の18時。地震発生から約27時間が経過していた。
避難されていた屋上に上がり海を見つめる。住民のみなさんは、思い出がつまった町がのみ込まれる様子を眼下に見ながら、とても苦しい状態で過ごされていたことだろう。
学校を出て海の方に歩いてみる。被災した建物跡が少し残っていた。
慰霊の塔の前で手を合わせた。後ろには新しく作られた堤防と穏やかな海がある。
別れと出会い
かわまちてらすに戻りお別れのあいさつ。Tシャツにメッセージをいただいた。旅人応援、言葉でいうのは簡単だがなかなかできることではない。子育てに仕事にお忙しいはずなのにこんなにもあたたかく接してくださるなんて。一日本当にお世話になりました。ありがとうございました。
はるそらさんには夜ご飯までいただいてしまった。テントを張り、てらすの前のいすに座る。日が暮れていくのを感じながら東北の旅をふりかえる。
6月25日に北海道に向けて出発した時は考えが甘く、8月中には大阪まで帰られると思っていた。しかし岩手での停滞と宮城でのゆっくりとした日々が続いたことで予定を変更。
今日は8月26日。明日のフェリーで名古屋まで行くことになっている。
東北最後にインスタライブでもしてみようかとボタンを押した時だった。
弁当の箸がない…。
そういえばスーパーでいただくのを忘れていた。そのことを嘆いていると、なんとライブを見てくれていたはるそらさんがわざわざ届けてくださった。本当に優しい方だ。最後まで振り回してしまった、と思いつつ内心もう一度会えてうれしかった。
初めてのライブは緊張で何を話したのかはあまり覚えていない。だがそのあとの出来事は鮮明に覚えている。ライブを終え、テントまで戻っていると人が大勢集まっている店があった。昼間のカレー屋さんだ。カレー屋さんのたくさんとビールをごちそうになった社長さんもいるではないか。今日はちょっとしたイベントで友人や歌手の方が集まっていた。飲み物をいただき旅の話をする。みなさん興味津々で聞いてくださった。
昔からワイワイした雰囲気のところには入りづらい性格で、実は店の前を通った時も「声をかけられなければいいな…」と少し思っていた。だがどうだろう。輪の中に入れてもらいお互いの話をして、写真まで撮ってくれて…。最後には「がんばってね!」と応援してくださった。あたたかい人たちばかりでテントに帰るまでの間泣きそうになった。
たくさんによると、ここかわまちてらすでテントを張った旅人は自分が初めてだそうだ。ありがたい出会いを呼んでくれた場所で寝られるなんて幸せなことだ。
うわぁ、東北で出会った人たちすごすぎる…。
テントの中でそう思った。
名取市までのルート
2022年8月26日【105日目】
石巻市→仙台市
走行距離 74.9km
積算距離 6,137.1km
旅人応援のはるそらさんに初めて出会った日の記録でした。はるそらさんもカレー屋さんのたくさんも夜出会った方々も旅中ずっと応援してくれました。この時の出会いがどれだけ旅を支えてくれたことか。また会いに行きます!