※震災遺構の写真があります。
今回は石巻市立大川小学校を訪問した時のブログです。あの日学校の管理下でとても悲惨なことが起きてしまった場所。ようやく自分も心の準備ができた気がします。心に余裕のある方のみ読み進めてください。
朝の約束
おはようございます。名取市のかわまちてらす閖上で起床。
昨日声をかけてくれた、たくさんが営むカレー屋さん笑夢。なんて素敵な名前や。大阪にも店舗があるらしい。店の前で歯磨きをして出発の準備をする。
今日もSNSで連絡をくれていた方に会う約束をしている。昼のフェリーで仙台港から名古屋港まで移動するので、午前中しか時間がない。昨日の夜その方がメッセージで、「どこか行きたいところはある?」と尋ねてくださった。ダメもとで私は大川小学校と答えた。仙台よりも北の石巻市のさらに沿岸にある震災遺構だ。実際に震災を経験された方にお願いするのもどうかと思った。だがどうも他の観光地を周ろうという感じはしなかった。東北の沿岸をゆっくり回ってきて、今のこの気持ちの状態ならあそこに行けるかもしれないと思った。その方は快く引き受けてくださった。
7時に仙台港で待ち合わせをした。すでにその方は到着されていた。自転車を置いて車に乗り込む。新聞配達のお仕事をされていて仕事終わりにもかかわらず大川小まで送ってくださるということだった。こんなありがたいことがあるだろうか。
大川小学校へ
大川小学校での出来事を知ったのは震災から少し経ってからだった。当時私は教育大学に通う大学生。教員を志していた自分にとって、いや世間にとって衝撃的なニュースだった。あの日から11年。ようやく見に行くことができる。
到着した。駐車場に車が止まり、降りるときから心が震えた。遠い11年前に起きた出来事が昨日起きたかのように感じられた。
あの日画面越しに見た場所に今から行くのだ。
そっと敷地に入っていく。校舎が見える正面の場所に来て手を合わせた。
大川小に当時在籍していた子どもは108名。津波によりその3分の2以上の74名と教職員10名の尊い命が失われた。
地震直後に教職員と子どもたちが避難していた校庭。ここで津波到着までの40分の間、避難場所についての議論が行われた。「山に登らせてくれ」と言った教頭に対し、地域の区長は「ここまで来るはずはないから、三角地帯に行こう。」と言った。子どもたちの中にも「山へ逃げよう」と言っていた子どもがいたらしい。防災無線では「河川には近づかないでください」との呼びかけが行われていたが、最終的に教職員と子どもたちは橋のたもとの三角地帯に移動を始める。
地震発生から50分後。川の堤防を乗り越えてきた津波が教職員や子どもたちを襲った。
大川小学校のすぐ裏には山がある。この山を見ると誰もが「ここに避難できていれば」と思うだろう。
大川小学校での出来事は天災ではなく「人災」と言われる。遺族の方が起こした裁判は最高裁にまで及び、学校の防災体制に不備があったとして2019年に県と市の敗訴が確定している。学校と行政に過失があったとする画期的な判決だった。
校舎の向かい側に伝承館が建てられている。大川小学校の歩み、地震直後の子どもたちの動きなどを知ることができる。
あの日教員をめざす身としてニュースを聞いたとき、「なんということが起きたんだ」と胸が締めつけられた。どうして学校は子どもたちを守れなかったのかと。
しかし、実際に7年間教員をして今日この場にやってきたとき、違う感情が起こってきた。
自分なら守れたか…。
その場にいた教職員も子どもの命をどう守るか考えていたはずだ。校舎の高さ、堤防の高さを優に超える津波が来ていることを予見して、落ち着いて、誰になんと言われようと最善の策を選ぶ。同じ場面があったとして、自分にそれができただろうか。
展示の中に、震災後泥をかぶった状態で見つかった赤いランドセルがあった。使っていたのは大川小学校で当時4年生だった子だ。今も行方がわかっていない。
ランドセルにはその子の学校での思い出が、人生がつまっていた。ランドセルの前でしばらくの時間を過ごした。そして涙があふれた。
いずれにせよこの子たちを守れなかった責任は大人にある。必ずまた大きな地震はやってくるし、自然はこちらの予想を超えてくる。子どもたちが身をもって教えてくれたことに対して応えなくてはならない。
「子どもたちの分まで…」そんなことは自分にはできない。一人分の人生を生きることでやっと。ただ、忘れず、精いっぱい生きよう。今の自分にできることはそれくらいだ。
帰りの車でしばらく考えた。
そして思った。
来てよかった。
東北のみなさんありがとうございました
13:00 仙台港に戻ってきた。朝から大川小まで連れて行ってくださった方とお別れ。別れ際に信じられない量の差し入れをいただいた。
こんな旅人を一声応援してくれるだけでもありがたいのに、わざわざ会う時間を作ってくださり、朝早くから車を走らせてくれ、差し入れまで…。もうなんとお礼を伝えたらいいのやら。
いただいたご恩は次へつなげていきますね。
港にはすでにフェリーが到着している。名古屋までは約22時間かかるのでほぼ一日がかりの船旅。東北旅は一旦これで終了。次回は11月ごろに再開を予定している。その間に一つ挑戦したいことがありまして。
東北で出会ってくださった方々、ありがとうございました。また元気に戻ってきます!
2022年8月27日【106日目】
積算距離 6,137.1㎞
二日連続で旅人応援の方に出会えるなんて驚きでした。その出会いのおかげで大川小にも訪問することができました。学んだことを忘れず、旅ができるということに感謝しながら進んでいきます。次回は名古屋からいとこの家をめざします。お楽しみに!