万田坑
7:30 熊本の友人宅で起床。ふかふかのお布団のおかげでぐっすり寝られた。
朝ご飯まで用意してくださった。ありがたい。身支度を整え、お世話になったご家族に出発のあいさつ。
9:20 今日はまず明治時代の遺産を見学する。ここは万田坑(まんだこう)という施設。
明治から昭和初期にかけて、石炭の生産で日本の近代化を支えた場所。先日訪れた三角西港と同じく、「明治日本の産業革命遺産」の1つとして世界遺産に登録されている。
レンガ造りの建物の奥にそびえたつのは竪坑櫓(たてこうやぐら)という施設。人や物資を坑内に送り込む、現代でいえば業務用のエレベーターのような装置だ。保存修理がされているが、ほぼ当時のままの姿をとどめる貴重な遺産である。
おっと、これも世界遺産らしい。先ほどの施設に通じる管が何本か通っている。
柳川の有名人
国道208号線を佐賀に向けて北上していく。
12:30 福岡県柳川市に入った。この辺りは川下りが有名らしい。川沿いを歩いていた観光客の方が川下りについていろいろと教えてくれた。
雨が降ってきたので、とっさに近くの東屋に避難した。今朝、泊めさせてもらった友人のお母さんからサンドイッチとサーターアンダギーをいただいていた。ちょうどお昼の時間だ。
休んでいた東屋の隣には何やら建物がある。この地で生まれた有名な作曲家古賀政男さんの記念館だ。近所のおっちゃんがベンチに座り、彼の功績について話してくれた。
恥ずかしながら古賀さんの名前は初めて聞いた。なんとあの王さんの次に国民栄誉賞を受賞した方らしい。日本を代表する作曲家で「レコード大賞」を創設したそうだ。生涯作曲した曲数は3000曲以上と言われる。すごいなあ。
食い入るようにおっちゃんの話を聞いた。
おっちゃんが一旦家に帰り、再び戻ってきた。
「これ食べ」
手にはアルミホイルにくるまれたさつまいも。わざわざ家に戻ってまで差し入れをくださるとは、ありがたい。雨が続く中、おっちゃんの話を聞かせてもらった。
「若いうち、体が動くうちに何でもしたらええ!」
おっちゃんの言葉が耳に残る。
17:40 佐賀県に入場。そろそろ今日の寝床を探さなければ。
ちょっとシャワーを浴びに快活へ。この後も雨が続きそうなので、結局そのまま快活で寝ることにした。
佐賀城
朝起きてすぐにひと作業。昨日ワークマンで購入した黄色のTシャツに落書きしてみた。なかなかいい感じ^^
8:30 佐賀城にやってきた。佐賀市中心部にある平城である。
入口には歴史が感じられる門がある。鯱(しゃち)の門という名前で、1838年に完成したものだ。
扉にはいくつか弾痕が確認できる。これは1874年に起きた佐賀の乱でつけられたもの。政府軍と反乱軍がここ佐賀城で攻防を繰り広げたそうだ。
城内には復元された木造の本丸御殿がある。2004年に完了した本丸御殿の復元は佐賀城が日本で初めてだったらしい。現在は佐賀城本丸歴史館として、内部が整備されている。
中に入ってみた。広い畳の廊下が奥まで続き、320畳もある大広間がある。城というと、大阪城や姫路城のようなそびえたつ天守閣を真っ先にイメージする。ただ、実際に藩主が生活をし政治を行っていた場所はこのような本丸御殿だ。
佐賀藩の10代目藩主だった鍋島直正とバーチャルで一緒に写真が撮れる場所もあった。カウントダウンに間に合わず、きれいな後ろ姿になってしまった。
こちらは明治時代に建てられた旧警察部庁舎。現在は「さがレトロ館」という名前でマルシェやワークショップの場として活用されている。
11:10 佐賀城の横のベンチで休憩していた時だった。広島出身だというおばあちゃんが声をかけてくれた。
原爆の時は母のお腹の中にいた。市民が出資して候補者を出す形で、これまで何度も選挙応援をされてきたそうだ。近くのおすすめの弁当屋を教えてもらった。
おばあちゃんと別れ早速その弁当屋へ。おばあちゃんからカンパをいただいた話をすると、店員さんもその方のことはよく知っているようだった。
店を出るとき、再びさっきのおばあちゃんに会った。
お弁当いただきます!
お礼を告げ、店先で今後の予定についてまた少し話した。店員さんもとても親切だった。
九州最後の県へ
今日はここから長崎をめざして走っていく。
黄色のTシャツが目立っているのか、いつもより視線を感じる。車から声援もいただいた。
天気は悪いが、なんとか雨にあたらず走れた。
鹿島市辺りからは国道207号線に沿って、海沿いをひたすら南下する。
途中見つけた道の駅で休憩。
道の駅太良でも少し休憩。
店内を見て回っていると、半額のシールが貼られたカレーを見つけた。200円はお得すぎる。
胃袋を満たし再出発。するとすぐに赤い鳥居が見えてきた。
16:50 ここは大魚神社の海中鳥居。現在の時刻は干潟になっているが、時間帯によっては海に浮かぶ鳥居となる。
斜め横から見るとこんな感じ。干潟になっている間なら鳥居をくぐることができそうだ。
近くにいた猫をパシャリ。
めでたい色をしたガードレールもパシャリ。さてさて、日が暮れる前に長崎に入らなければ。
世紀の干拓事業
17:40 長崎県の諫早(いさはや)市に入場。これで福岡から始まった九州旅は一応全県走ったことになる。
引き続き207号線を走っていると、左手にみかんのような形のバス停が。奥にはスイカも見える。この辺りには他にもトマトやメロン、いちごの形のかわいいバス停があった。
18:20 徐々に雲が移動し青空が見えてきた。今日最後に訪れたかったのがここ。
その様子からかつて「ギロチン」と呼ばれた諫早湾干拓排水門だ。
上空から見るとこんな感じ。諫早湾を縦に分断する諫早湾干拓堤防道路。その北部と南部にそれぞれ、先ほどの排水門が設置されている。諫早湾の奥を堤防と排水門によって仕切り、その内側には干拓地が造成されている。
1997年、湾を仕切るため293枚の銅板が次々と落とされた。その衝撃的な場面は「ギロチン」と呼ばれた。この干拓事業については賛否があるが、有明海の水質悪化によって多くの漁業関係者が被害を受けている。そうした方々のインタビューを新聞記事や動画で見るたび、胸が痛くなっていた。「一度自分の目で見ておきたい。」それが今日ここに来た理由だ。
写真に写る手前の海が干拓事業によって仕切られた内側の海。海と言っても農業用水として使うため淡水化されている調整池だ。壁の向こうに有明海が広がる。この諫早湾では数百年前から少しずつ干拓が進められてきた歴史があるが、整然と並ぶ堤防施設を見る限り、今回の公共事業は非常に大規模で強行的な印象を受ける。自然に対して手を加えすぎた…そんな感じ。
19:30 諫早市内で野宿場所探し。眼鏡橋らしきものがあったが、暗くなってきたのでまた明日見に来ることにしよう。
諫早市までのルート
2023年5月18・19日【262・263日目】
熊本→諫早市
走行距離 138.1㎞
積算距離 13,159.8㎞
この二日間で熊本から長崎まで4県をまたぎました。梅雨に追いかけられている気がします。早くゴールしないとですね!次回もお楽しみに!