雨でむかえた71日目。「ここまで来てんから大丈夫!」というなぞの自信のもと進むのですが…。
それでは行ってみましょう!
はじまりの雨

ん?雨か。
8:00 テントで目覚める。いつもより寝すぎてしまったようだ。天気予報を調べてなかった。今日は1日雨のようだ。

え?
嘘やろ!
あーーーーー!!
急にあることを思い出した。雨の中駐車場へ走る。

自転車のバッグにカバーをかけ忘れていた。昨日は到着して最小限の荷物だけをサイトに運んだ。そのまま自転車は放置したままになっていた。フレームやサドルはもちろん、バッグの中もびしょびしょである。
やってもうた・・・。
まあどうせ今日は雨の中進むことになる。夜着いた場所で乾かそう。

9:30 カッパを装備しキャンプ場を出発。
今日は知床の手前の斜里町まで行く。小雨だが、幸い今日は2つの室内施設での観光を予定している。

1時間ほどで北見市の常呂という町に入った。北見市といえばカーリングで有名だ。このアドヴィックス常呂カーリングホールでは、練習の様子を見学できるそうだ。
入口に向かう。

CLOSED!!
OH MY GOD!!!!
今日は団体によって貸切られているということだった。これで早くも1つ、室内観光の予定がなくなった。
気を取り直して進むと雨が強くなってきた。目の前にあったコンビニに避難。ちょっとした屋根で雨をしのいでいると…


「雨やけど頑張ってね!」
立て続けに差し入れをいただいた。ありがたい。こういうときの差し入れは本当に心にしみる。雨がやんできたので再びこぎ出す。

町を出てすぐのところにサイクリングロードがあった。大通りはトラックの水しぶきが来るので危ない。こういう道が役に立つ。

再び雨が強くなってきた。

小さなトンネルがあったので雨宿り。だがここも冠水し始めている。危ないな。

トンネルを通過して先に進む。

おーっと!
木が完全に道をふさいでいるゲームのような光景。戻るにも時間が…通ってみるか。

体に当たる枝は折りながら進んだ。

網走市に入った。

これだけの雨の中を進むのは四国以来だ。もう荷物だけではなく、靴の中もびしょびしょだ。

自転車に泥除けがついていないとこうなる。やっぱりもう少し旅向きの自転車にすべきだったか。
とりあえず施設に入ってしまえば雨は防げるな、頑張ろう!
網走監獄

13:00 到着!ここが2つ目にリストアップしていた室内観光施設、網走監獄だ。
入場料は1500円。博物館にしては少し高い気がするが、広さは東京ドームの3.5倍でかなり見どころが多いらしい。入ってみよう。

うわあ、この正門見たことある!
早くも圧倒的存在感だ。

おーびっくり!めっちゃリアルやな(笑)

こちらは刑務所管理の中心となる庁舎。

こちらは休泊所。「なんだ受刑者もこんなところで休めるのか。」と思いきや違った。

この施設は日帰りできない大がかりな作業の時に、受刑者とともに解体しては移動していた別名「動く監獄」。明治24年の網走から札幌へと続く中央道路開削工事では、延べ1200人の受刑者が過酷な労働を強いられたそうだ。旭川から網走まで続く現39号線の開削は特に過酷で、ヒグマや食料不足、劣悪な環境下による病気等で多くの死傷者を出したと言われる。そうした受刑者によって作られた道路は「囚人道路」と呼ばれ、北海道に多く見られる。
道一つでも、命をかけて作ってくれた人がいるんやな…。
北海道のひたすら長い道にぶつぶつ文句を言っていた自分が恥ずかしくなった。囚人といえど人権がある。彼らの命をかけた工事のおかげで、自分もこうして自転車で走ってくることができたのだ。


横に長く伸びる施設が見えてきた。

こちらは舎房。上空から見ると、中央見張り所を中心に放射線状に5つの舎房がつながっている。

中に入ってみると、すぐにその中央見張り台が現れた。

見張り台からは5つの通路が見渡せるつくりになっている。

見張り台から先へ進んでみる。かなり奥行きがある建物だ。

彼は今から脱獄するのだろうか。
奥には多くの雑居房が並ぶ。壁が破られないよう約30㎝間隔で柱が築かれている。

少し広さのある部屋もあれば、人が一人やっと暮らせる程度の部屋もある。

こちらは独居房。広さは1.5坪で受刑者が一人で入る部屋だ。

暖房器具もあった。冬は寒さの厳しい網走だ。これでも部屋の中はきっと寒かっただろう。

受刑者が入浴するところ。いちいち人形がリアルやな(笑)

外にも独立型の独居房があった。

こちらの独居房は窓がない。明治時代には、監獄の規則を破ったものはこうした独居房に閉じ込められ、少ない食事で反省を強いられたそうだ。

こちらは教誨堂という施設。定期的に牧師や曽呂が来て、受刑者に教えを説いていた場所だ。

網走監獄の名前を知ったのは、旅に出る少し前のことだった。漫画「ゴールデンカムイ」の影響だ。すでに映像化もされ、知っている方も多いだろう。物語では多くの囚人が登場するが、そこで何度も出てくる場所がこの網走監獄だ。見どころが多く、考えさせられることが多かった。2時間ほど滞在した。
ラーメンが食べられる駅
15:30 小雨の中再び走り出す。雨で体が少し冷えてきた。今日はなんとか斜里町あたりまでは行きたいが…。

また原生花園なるものに出会った。

うーん。

うーん。雨の日によるものではないな(笑)
バスで来られていた団体客の方と話した。
「大阪から来た」というと皆「え?フェリーで来たの?」と返す。
自分でも「もしかして俺フェリーで来たんじゃないか」と錯覚する(笑)

17:00 網走からは釧路まで釧路本線が走っている。線路に沿って走っているとおしゃれな駅舎を見つけた。

ん?駅ちゃうな。
おいしそうなにおいがしてくる。
おいおい、ラーメン屋やんけ!!
ラーメン屋との出会いでこんなに驚き、感動したことはあるだろうか。入ってみることにした。

もともとここは本物の駅だったようだ。

おしゃれな店内。

外には今も走る釧路本線の線路が見える。

豚バラチャーシュー麺の登場。
雨で冷えた体に染みわたるスープ、豚バラのうま味。
はぁ、うまい^^
店主のおばあちゃんはとても親切な方だ。雨の中の旅を心配してくれた。とても落ち着く場所だった。
道東の理想郷

ラーメン屋からこぎ始めたところで再び雨が強くなり避難。
くっそー!もうすぐやのに…。
今日は斜里町の手前の清里町というところのユースホステルを予約している。斜里町には旅人には有名な「クリオネキャンプ場」というのがある。多くの旅人が集まり、ワイワイ楽しめる場所らしい。稚内のみどり湯や猿払村で出会ったバイク旅の方たちにかなりおすすめされていた。当初自分も行こうと思っていたが、今日になり気分が変わった。雨の中進んでいると何となく今日はゆっくりと過ごしたくなった。
降り続ける雨はやみそうもない。
行くか。
覚悟を決めていくことにした。宿まではまだ10㎞ある。携帯をタオルでふきながらルートを確認する。
はぁ、きつい。
近づいているはずなのに、宿が自分からどんどん遠ざかっていくかのような感覚。
小さな坂を上っては下る。雨は容赦なく正面から斜めに当たってくる。あたりは暗くなり始めていた。
こういう状況になってくると人間頭がおかしくなってくる(笑)
いけるよー!がんばってるねー自転車!
とにかく何でもほめて気持ちが盛り下がるのをふせぐ。
がんばってるねー太もも、うしろの荷物もいいねえ!
暗闇の北海道。周りには誰もいないので好きなことが言える。
待ってろ、イーハトーヴぅううう!

19:30 ようやく本日の宿清里イーハトーヴホステルに到着した。イーハトーヴとは童話作家宮沢賢治が作った架空の理想郷を指す言葉だ。この名前にも惹かれた。見た目はおしゃれな別荘のようである。
日本ユースホステル協会のHPには以下のような記述がある。
ユースホステルはドイツで生まれ、その歴史は100年以上。約80の国と地域に約3000か所の宿泊施設があり、日本には北海道から沖縄まで約140か所のユースホステルがあります。
引用:日本ユースホステル協会HP
「ユース」とついているが若者だけが利用できるということではない。家族旅行や一人旅、さまざまな利用者を比較的安い料金で受け入れている宿泊施設だ。安宿といえば最近ではゲストハウスのイメージが強いが、それよりももっと歴史があり、世界の各地で旅人に利用されている。
「いらっしゃい。」
オーナーが玄関で迎えてくれた。タオルを貸してくれ、衣服を乾かす場所まで案内してくれた。もうこの時点で今日はここにしてよかったと感じた。

リビングではそれぞれが自分のペースで自由にくつろいでいる様子だった。
こちらは同じ自転車旅の方。
東京からフェリー経由で来ていて、自転車の大会についてや今後の知床から根室のルートなどを教えていただいた。他にも三重からご家族3人で来られている方と知り合い、お子さんの話を聞いたりした。

10:00 早めに寝床へ。よく頑張ってくれた体にお疲れ様。同じく雨の中頑張ってくれたiPhoneにも充電プラグを指す。さあ明日はいよいよ道東の難所、知床峠だ。がんばろう。
斜里町までのルート
2022年 7月23日【71日目】
佐呂間町→斜里町
走行距離 98.7km
積算距離 4,438.9km

今日も1日お疲れ様でした。いやあ今日はきつかった。さあ行くぞってときに限って雨って降るんですよね(笑)なんとか無事にホステルまでたどり着いたわけですが、明日の朝とんでもないことが起きます。次回もお楽しみに!

