※震災遺構の写真があります。
みなさんは自転車で道を走るときに緊張することはありますか。旅ではどちらかというとリラックスして走る時間が多いです。ただこの日は少し違いました。今日も福島を一緒に走っていきましょう!
いつもと違うこと
おはようございます。
今日も目覚めた。良かった、生きている。
昨晩も寒さはそれほどきつくなかった。しいて言うならやっぱりこの手すり。体を曲げてなんとか寝られた。
毎日朝起きると想像することがある。今日一日のことだ。「誰と出会うかな」「どこまで行けるかな」ただ今日はいつもと少し違った感情。
あそこ通れるかな…
「あそこ」とは昨日もおとといも走ってきた国道6号線のことだ。
今日通る大熊町と双葉町にまたがる6号線は原発の事故当初は通行禁止だった。ネットの情報では「今は通れる」ということになっている。ただ、自転車が通れるようになったのは最近らしい。
とりあえず行ってみよう。
いつものように荷物をまとめ、進み始めた。
浪江町の遺構
浪江町内から海沿いの道へと移動する。国道6号線の東側の地域である。海に近いこの地域にはほとんど建物らしきものは見えない(2022年11月当時)。
海の近くまでやってきた。岩手・宮城両県では海沿いには大きな堤防が完成している地域が多くみられたが、ここは違う。
道だけがある。正しい表現はわからないが、そんな感じだ。地図を確認すると近くに震災遺構があるようなので行ってみる。
ここは浪江町立請戸(うけど)小学校。海岸からは300mほどの場所に建っている。
2011年3月11日。請戸小の子どもたちは先生の指示で、地震が発生してわずか8分後に避難を開始した。避難先は1.5㎞離れた大平山だ。結果としてこの早い判断が児童全員の命を助けることになった。
請戸小学校から南に約2㎞のところにT字路がある。写真で言うと右側の道が内陸の双葉駅へと続く。このまままっすぐ奥に進んだ先にあるのは福島第一原子力発電所だ。ここで右に曲がり、駅の方へ進むことにした。
時が止まった町とアート
双葉駅前に到着。関東方面から福島・宮城まで続くJR常磐線は2020年3月に全面開通している。ここにも普通車や特急列車が一日に複数本止まるらしい。
駅から海へ伸びる道を進んでみる。大きなアート作品が描かれている建物が多くある。Futaba Art Districtという双葉町復興プロジェクトによるものだ。
当時の住宅だろうか。何軒かはそのままの状態で残っていた。
ひときわ大きな作品に出会った。力強さを感じる作品だ。
町の中ではときどき線量計も見かける。
倒壊した状態で残っている建物もあった(2022年11月当時)。
岩手・宮城ではハード面の復興はかなり進んでいた。そこで見た光景とはまるで違う。あの日から、ここだけ時が止まっているようである。
帰宅困難区域に指定された場所の入口には看板があった。放射線は目に見えない。こっち側と向こう側で何が違うのか。少し虚しさを覚えた。
原子力災害伝承館にやってきた。ここでは未曽有の大災害となった原発事故に関する展示や被災された方が語り部を務める講話がある。実際に聞いてみた。
原発と一緒に暮らしてきた町の歴史や原発がどれだけ日本の発展、特に都市部の発展に寄与してきたのかを教えてくださった。また、事故の際の住民の避難の様子や今後の町づくりなどについても聞くことができた。語り部の方は時間が過ぎても30分ほど話をしてくださった。せっかく来たので最後には個人的に気になることも聞いた。
原発とともに暮らしてきたのは隣接する市町村だけではない。全員がその恩恵を受けてきた。まだまだ自分事として知らないことが多すぎると感じた。
隣接する双葉町産業交流センターにも寄ってみる。1階にはレストランがあった。
ちょうどお腹が空いたのでとんかつ定食を注文。味も最高だったが、親切に接客してくださった店員さんの笑顔に癒された。町は止まっていない。そこには人がいて、生活がある。
国道6号線
再び国道6号線に戻ってきた。少し緊張感がある。距離的には原発から一番近い国道だ。
原発事故以降通行が禁止されていたこの道は2014年9月に四輪自動車のみ通行できるようになった。20年には放射線量の低下や地元の要望もあり、自動二輪や原付バイクの通行が認められた。そして22年8月に歩行者や自転車の通行も可能になった。つい3か月前のことである。
道は原発を避けるようにゆるやかにカーブしていく。左が福島第一原子力発電所へ続く道。当然通ることはできない。
大きなクレーンが見える。あの緑の奥には途方もない量の汚染水を貯蔵するタンクが並んでいる(2023年7月31日現在1073基)。
福島第一原子力発電所が営業を開始したのは1971年3月26日。震災が起こった日から約40年前だ。そして廃炉作業は今後30年続く。とんでもないものを作り、そのとんでもないものに現在も自分たちの生活が支えられているのかと思うと複雑で、苦しい気持ちになった。
仮に30年後、廃炉が完了したというニュースを見て、自分たちの孫世代に何を伝えられるだろうか。ここであったことを自分事として伝えられるだろうか。少し考えながら再び走り出す。
安全に走れる道になったことは確かだが、少しそわそわする。
原発を通り過ぎ、段々と道はまた海の方へ近づいていく。道路はかさ上げされて高くなっている。そのまま南へひたすらこいでいく。
いわき市に入った。今日はこのあたりで寝床を探すか・・・。
おやすみなさい。
いわき市までのルート
2022年11月30日【118日目】
浪江町→いわき市
走行距離 72.2㎞
積算距離 6,937.5㎞
国道6号は無理して通る必要はありません。ただ近くには遺構や当時の町が残っているので、いろいろと学ばせてもらえる場所ではあります。